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いやぁ、懐かしい!IF.... 1968年/イギリス/112分 監督: リンゼイ・アンダーソン1969年カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。 だけどなぜかDVD化されていない! 賛否両論ありでかなり話題になったと記憶している。 リンゼイ・アンダーソン監督はこの後も「八月の鯨」など寡作ながらいい作品を撮っている。 スティーヴン・フリアーズ監督はこの時はまだ助監督だったんですねぇ。 この年のカンヌ映画祭の審査委員長はルキノ・ヴィスコンティ。そして受賞作品をみるとやっぱり時代を反映しているなって思う。 本作についてallcinemaの解説を引用すると… 「英国で500年の伝統を誇る全寮制のパブリック・スクールを舞台に、60年代後半の世界を席巻していたスチューデント・パワーをアナーキーな形で結実させ、青春の暴力的衝動を幻想を交えて描く異色の学園ドラマ。」 「アナザー・カントリー」(1984年第37回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞)も好きだけど、それから「モーリス」も切なかったけど、これまたWOWOWのお陰様で十年ぶりの再鑑賞。感想は…となると、「If もしも....」はやっぱり格別に好きだわ。そんな私は私はどちらかというとアナーキー的傾向が大きいんだろうなって思う(というよりも直感型の単純人間?…笑) 未来の英国紳士になるべく上流階級の子弟たちが教育を受ける全寮制のパブリック・スクール。第二次大戦前1930年代を舞台にした「アナザー・カントリー」などでも監督生による鞭打ち刑とか、確執とかも描かれているけれど、あくまでもお美しく、なによりも正統派トラディッショナルのファッションに参ってしまう映像。 60年代後半を舞台にした本作では寮生たちの意識もずいぶんと違うだろうだけど、パブリック・スクールでの彼らの生活や、封建主義的で旧態然とした校風はかなり実態に近いんだろう。 日本の同年齢の学生達とくらべると、別世界と思われるほど月とすっぽん以上に違う彼らの生活や身のこなしや意識に、これがイギリス!って、まだまだ初心な年齢の私には驚きとも憧憬とも似た思いで映像を眺めていたものだ。今観ても男ばかりの寄宿舎生活はなかなかに興味深く、パブリック・スクール内の彼らの生活をカメラが追いかけるといったドキュメンタリータッチで描かれているのが、今も作品にリアルさと瑞々しい新鮮さを失わせていないのだろう。 余談だけど、「アナザー・カントリー」のルパート・エヴェレットや、ダニエル・ディ・ルイスなどもパブリック・スクール出身。といってもダニエル・ディ・ルイスなどは、みんな同じ制服を着て規律に縛られた生活に、僕はここにいたら壊れてしまうと、ありとあらゆる校則違反をして追放処分という形でパブリック・スクールから逃げ出したとか。その後、TVプロデューサーの大御所だった祖父の勧めで芝居の道に入ったとか。伝統ある寮の規律を破壊する反逆分子とされる三人組の中心的存在のミック・トラヴィスにマルコム。彼の本作での演技が、キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」(1971)のアレックスに繋がるんだろう。 ![]() 記念式典の日は「クルセダース<十字軍>」と命名した彼ら反乱軍決起の日。美少年フィリップとカフェのウェイトレスも巻き込んで屋根の上から一斉砲撃を浴びせる。ラストでクローズアップされる銃口を構えるトラヴィス演じるマクダウェルの怒りと憎しみの充満したあの青い目は、今も力強いメッセージを観るものに投げかける。 今じゃどうかすると古城と田園の美しさを売りしている向きのイギリスも、こんないい映画をつくっていたんだって今更ながら思う。 本作をみていて思い出すのがフランスのジャン・ヴィゴ監督が1933年に撮った「新学期・操行ゼロ」。 規則づくめの寄宿舎生活の子供たち。権威を振りかざし彼らを抑圧する校長や教師たちに、「自由か死だ。」「反乱万歳!」と反乱決起を叫び、屋根に髑髏の旗を掲げ卒業式粉砕を企てるという物語。ラストショットは意気揚々と学校の屋根の上を歩く子供たちの後姿! 紛れもなく、真面目で、本気で謳いあげた子どもたちの大人への反乱の凱歌。 当時の教育制度や管理社会に対する痛烈な風刺のため上映禁止処分となり、公開はジャン・ヴィゴの死後、第二次大戦後の1945年だというが、子供たちのこの凱旋歌には何度も観ても拍手を送りたくなる。権威主義の時代であったとしても無邪気な時代だったといえるだろうか。 ![]() しかし戦後の自由主義社会にあって「ifもしも…」(1968)で描かれているのは陰湿に覆われた抑圧の構図。そして結束した彼らの反乱は銃撃戦へとエスカレートし、イギリスの小説家アンソニー・バージェスが1962年に発表した原作をキューブリックが映画化した「時計じかけのオレンジ」(1971)では、自由放任社会で若者達のエネルギーは無軌道な暴力と欲望へと加速する一方で、全体主義社会で彼らは個々に分断され、彼らだけに通用する言葉で繋がった関係は幻想に過ぎず、管理抑圧の全体主義が社会にはびこるというジレンマの構図が描かれている。そしてキューブリックの提起は、現代の理由なき殺人、暴力を確実に描いているといえるだろう。 映画は社会や時代を如実に映し出す鏡と言われている。その事をこんな3つの作品で痛感させられる。 そして個々に分断された若者たちは液晶画面と向き合っている。こんな21世紀の社会にあって映画はどのようなビジョンを描いていくのだろうか。そんなことも思う。描くべきムーブメントそのものも不可視の時代になっているのだろうか。それともそれをキャッチする人間の感覚が鈍化してきているのだろうか。最近の映画や文学をみていてそんなことも思ってしまう。数十年ぶりに「ifもしも…」を観てあれこれと頭を掠める。
by mchouette
| 2010-05-21 00:00
| ■映画
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