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日曜日の午後。兵庫県立美術館で5月30日まで開催されている写真展「写真家中山岩太『私は美しいものが好きだ。』レトロ・モダン 神戸」に行ってきた。
この美術館は神大震災の後に「文化の復興」のシンボルとして建設された建物。 JR灘駅で降りて坂を下りていくと、海を臨むように建っている。 建築設計は安藤忠男。 色のないコンクリート打ちっぱなしのこの建物に蔦と木々の緑が良く映える。 そして入り口に展示案内として掲げられている中山岩太のモノクローム作品、「上海からきた女」、ポスターにもなっている「髪の長い女」がしっくりと似合っている。ここから既に中山岩太のモダニズムの世界に誘われていくような……この美術館は、建物のエントランスから入り口に向かって歩いている間に下界と遮断された空間に入り込んでいくような、そんな時間を醸し出している。 写真というより絵画とも思える彼の作品。 モダンアート。 中山岩太(1895~1949)の写真展をみた印象。 中山岩太は1918年に東京美術学校臨時写真科第一期生として卒業後、農商務省の派遣でアメリカのカリフォルニア大学で学んだ後、ニューヨークで「ラカン・スタジオ」を開設。1926年にはパリに渡りマン・レイや藤田嗣治らと親交をあたためる。それよりも静寂に包まれた異空間ともいうべき展示会場で、レトロなムード漂うひと時を堪能できたのがなにより。 そして第二部「中山岩太たちが遺した戦前の神戸」のコーナーでは、第二次世界大戦下、外務省の命令に反してビザを発行し「東洋のシンドラー」といわれている杉原千畝によって救い出されたユダヤ人たちが、敦賀港に寄港し神戸に来るというニュースを知った安井仲治を中心とする丹平写真倶楽部のメンバーが、神戸に滞在していた彼らを撮影。シリーズ「流氓ユダヤ」として発表した写真も展示されていたのが興味深い。 当時、洋服屋を経営していた妹尾盛夫(妹尾河童の父親)は頼まれて彼らの服の修繕を行ったが、何十日も風呂に入らずかつ体臭の強い彼らの服の臭いが家中に広がったが、私にできるのは服の修理しかないとがんっばって修理したというエピソードも掲げられていた。(妹尾河童「少年H」にもこの時のことが書かれている。)
by mchouette
| 2010-05-17 00:00
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