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TRIUNMPH DES WILLENS
1935年/ドイツ/110分 製作: レニ・リーフェンシュタール 女優から映画監督へと転身したレニ・リーフェンシュタールが、ヒトラー自身から直接依頼され撮影に臨んだという、ニュルンベルクで1934年9月4日から6日間行われた国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の第6回全国党大会を記録した作品。 前年の1933年には第一党の議席を確保したナチは、国家とナチ党一体化の法律を制定し、この年1934年8月19日、 国民投票によってヒトラーの大統領就任が決定するが、ヒトラーは大統領の肩書きは名乗らず、国家元首を兼務し「総統」と呼ばれ、独裁者として全権を担うことになる。 そしてこの党大会である。ヒトラーを頂点とするナチス・ドイツの存在を世界に知らしめる為の映画だろう。 「全てのクリエイターが、映像の教科書と認める禁断の映画」と称されるほどレニの映像は圧倒されるほどの映像美と、これが明らかにナチス・ドイツのプロパガンダ映画として製作されたという事実を頭に刻み込んでもなお、観るものの心を高揚させ、映像に惹きつけさせる力をもっている映像であり、この後に製作されたベルリンオリッピックを撮影した「民族の祭典」「美の祭典」とともに、映画監督としてのレニの高い力量を改めて認識させられる。 レニにとっては芸術としての映像を追求した作品でもあっただろう。 レニの「民族の祭典」そして「美の祭典」についてはその映像美に圧倒されると同時に、その後から押し寄せてきたのは、スタジアムに翻る鉤十字の旗と共に、映画を通してナチス・ドイツの姿なき存在がいまだに亡霊のように彷徨っているという怖さだった。どう書いていいのか戸惑う中でいまだに記事にできていない。 これらの作品でレニが駆使した斬新で独創的な撮影手法や構図は、その後の映画に大きな影響を与え、本作で、夜間の撮影でサーチライトの強い光を上空に向かって垂直に照らし、その光と影の世界に鉤十字の旗を照らし出すという手法。その光と影がみせるコントラストの衝撃。このレニの撮影手法は戦後のロックコンサートの演出などで使われ続けている。 それだけレニの映像には人間の生理を直截に揺さぶるものがあるのだろう。 そしてレニの卓抜した映像センスを見抜いたヒトラー。 1935年のヴェネツィア・ビエンナーレでは金メダルを、1937年のパリ万博でもグランプリを獲得した作品ではあるが、戦後はナチスドイツのプロパガンダ映画として封印され、ドイツでは上映禁止とされている作品。 その作品の日本国内版が発売された。 パッケージの帯にこんなメッセージが書かれていた。 「今回のDVD発売は、封印された本作の存在を人々に知らしめ、その映画史における芸術的重要性を再認識させると共に、本作公開以降に起きた世界崩壊・ナチスドイツによる大量虐殺の惨劇を思い起こさせ、本作を所謂「反面教師」とし、二度とあのような歴史を繰り返してはならないという現代社会への警鐘を人々に鳴らすきっかけにしたいと強く希望し、また改めて平和への想いを再認識したいと考えております。」 上空を飛ぶ飛行機の映像から始まり、雲や風のゆったりとした流れに誘われようにニュルンベルグの町を通り、カイザーブルク城、ドイツ国の国旗が掲げられた教会上空を過ぎ、はるか眼下にみえる大通りには整然と行進する大隊列をみおろすに至っては心地よい緊張をもたらし、流れるように映し出される古都ニュルンベルグの街並み、歴史的建造物の数々。 こんな映像を当時のドイツ国民とりわけ若者たちが見たら、いやニュルンベルグに向う飛行機に乗っているヒトラー自身にとって、第一次大戦で敗戦し屈辱を味わったドイツの輝かしい復興を強く実感したことだろう。 そんな昂ぶりをさらに煽るのは、空港に着いたヒトラーやナチス幹部たちを迎える群集のこぼれんばかりの笑顔、少しでもヒトラーに近づこうと列の前で手を伸ばす子供たち。 映像はそんな熱狂と興奮から一転して、朝靄の広大な大地に整然とテントが並ぶナチス党内の青少年組織であるヒトラーユーゲント野営地が静に映し出される。 テントから起き出した彼らのはじけんばかり笑顔の快活な朝の光景は、ドイツの若者たちの心を大いに掻きたてたことだろう。 党大会の様子も、次々と壇上にたつナチス幹部の演説そのものより、若者たちを鼓舞するかのように、ヒトラーに対する絶対の忠誠と団結と闘いを掲げ「ジーク・ハイル」が何度も繰り返される。 そしてドラマティックなまでのヒトラーの演説。 ロックフェスティバルで聴衆を熱狂の渦に巻き込んでいく手法さながらの党大会。 党大会の高揚感、臨場感をあらゆる角度、撮影手法を駆使して映像でみせつけたとどめは、なんといっても各組織ごとに旗を掲げ行進する市街地パレードだろう。 突撃隊に始まり、最後の親衛隊の行進に至ってはまるでスターを迎えるファンのように群集がにわかに色めきたつ。 スピルバーグの「シンドラーのリスト」でユダヤ人収容所長を演じたレイフ・ファインズが「不謹慎かもしれないけれど、脱ぎたくなかった。」とまで言わせたあのナチス親衛隊SSの制服に身を包んだ隊員たち。最前列にはひときわ長身の隊員たちを配し行進する様は、はっきり言って「カッコいい」 まるで神話の始まりを思わせるような緩やかなトーンから高揚へ、興奮は一糸乱れぬ緊張をもみせる行進に至って陶酔の域に観る者を引きずり込む。 ナチス神話とでもいうべき映像をレニはイメージして撮ったのだろうか。 みごとなまでに起承転結に則って展開されるレニの映像。 そしてレニがカメラを通して捉えているものは生身の人間そのもの。その表情、動き。その一瞬をクローズアップで鮮やかに切り取られている。レニの視線が捉える構図は、生身の人間が見たいと思うそんな感情をストレートに刺激する。 それは見るものに臨場感を与え、映像は個から群集へ、党大会、マスゲームへと進み、個的感覚はいつしか集団へと溶け込み、緊張と抑制の組織の意思へと同化していく。 群集心理を見事に捉え、観るものをいつしかナチ党と同化した錯覚さえ覚えさせる映像の力とでもいうのだろうか、レニの卓抜した映像センスに驚くと共に、これこそがプロパガンダの真髄だろうと思わせる。 そんなショットの間にほぼ一定の間隔のように映し出される鉤十字の旗。 冒頭では、何度目かの映像で飛行機の尾翼と胴体部分にそのマークをはっきりと見出す。 人々のクローズアップの映像と絡むように、家々にはためく鉤十字の旗がクローズアップされる。高揚感の記憶と共に、人々の脳裡にはナチスの鉤十字はしっかりと刷り込まれるだろう。 絶大なるサブリミナル効果。 ナチス・ドイツにおいて「プロパガンダの天才」と呼ばれたナチス宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス。 政治を主眼とするゲッペルスと、芸術を追求したレニ・リーフェンシュタール。後に両者の関係は国内映画制作の指導指揮権を巡り根深く対立し、レニによると、ベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』でも、ゲッベルスは幾たびもあからさまに撮影の妨害を行い、我慢できず口論となって泣き出したレニを、ナチ政権下でヒトラーの後継者に指名されるほどの高い政治的地位を占めていたヘルマン・ゲーリングが慰めたという。 しかしこうしてレニの「意思の勝利」をみていると、ゲッベルスがプロバガンダについて語った言葉と怖ろしいほどに通じる。 「プロパガンダの秘訣とは、狙った人物を、本人がそれとはまったく気づかぬようにして、プロパガンダの理念にたっぷりと浸らせることである。いうまでもなくプロパガンダには目的がある。しかしこの目的は抜け目なく覆い隠されていなければならない。その目的を達成すべき相手が、それとまったく気づかないほどに。」(1928) ゲッペルスが語るように映像の天才レニ・リーフェンシュタールによって芸術性を追及した党大会の記録映像は、大衆の心理を見事に捉え、ヒトラーを出迎える熱狂的な群衆にしか過ぎなかった彼らを、党大会の臨場感を味わわせ、さらにはヒトラーの忠誠を象徴する制服に身を包んだ組織化されたマスの緊張感に酔わせるまでに至らしめている。 20世紀は映像の世紀であると同時に、2つの大きな戦争を経験した戦争の世紀でもある。 1895年、フランスでリュミエール兄弟によって「シネマトグラフ」が開発され、20世紀は映画の幕開けの世紀ともいえる。そして誕生当初は大衆娯楽としてしか見られていなかった映画が、音楽、詩、舞踊といった時間芸術と、建築、彫刻、絵といった空間芸術を総合するものとしてリッチョット・カニュードが映画を既存の芸術ジャンルと対比させ、その特性の定義を試み『第7芸術宣言』を著したのが1911年。 今からわずか1世紀、100年前のこと。 その100年は映画の世紀であると同時に戦争の世紀でもあった。 第一次大戦がロシア革命を促しソ連が誕生し、戦後処理の失敗が、第二次大戦の引き金となるナチの台頭を促す土壌を作ったともいえる。 ロシア革命を成功させたレーニンは「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」とし、ソ連は世界で最初の国立映画学校をつくり、共産主義プロパガンダ映画の技法としてモンタージュ理論が生まれ、ヒトラーもまた新しいメディアである映画を重要視し映画産業を積極的に支援し、そしてレニ・リーフェンシュタールによって「意思の勝利」そして「民族の祭典」「美の祭典」という映画史に残る、また後の影像表現に多大な影響を与えた作品がつくられた。 乱暴な言い方をすれば、戦後フランス映画界は、第二次大戦下のレジスタンス活動を積極的に映画化することで、フランス・ヴィシー政権がナチスに加担したという事実をまんまと覆い隠したともいえる。 アメリカは、西部劇でインディアン悪い人という認識を刷り込ませ、自由で強い国のイメージを世界に植えつけることに成功したといえる。 人々の人生を描き、精神生活に深く関わるあらゆる芸術を包括する映画は、その誕生からすでにしてプロパガンダとしての宿命を負っているのだろうか。 レニ・リーフェンシュタールは2003年に亡くなった。 戦後はナチス(NSDAP)との協力関係を問われ、逮捕され獄中生活を送りナチではないという判決により自由の身になるが、あらゆるところで政治的な誹謗中傷を受け、ナチのプロパガンダ映画作家というレッテルを貼られ失意の日々を過ごしたという。 その彼女が、アフリカ・スーダンのヌバ族に出会い10年間の取材の後1973年に写真集『ヌバ』でアーティストとして再起を遂げる。同年には71歳でスクーバダイビングのライセンスを取得し水中写真に挑戦。また2002年、100歳で彼女の生涯で最後の映画作品となる『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』で現役の映画監督として復帰している。 98歳のレニ・リーフェンシュタールが愛人であり長年の助手でもあるホルスト・ケトナーと共に、73年に発表した写真集『NUBA ヌバ』の撮影地スーダンのヌバ族の村を20数年ぶりに再訪する姿を追ったドキュメンタリー『アフリカへの想い』(Leni Riefenstahl-Ihr Traum von Afrika)(2000年/レイ・ミュラー監督)を1年ほど前に観た。98歳にあってもなお創作意欲をもち、強い好奇心に彼女の逞しい生命力を感じさせる。インタビューがナチス政権下の彼女の作品に及んだとき、「私は私。あの作品がレニよ。」きっぱりと言い切る。 レニーがナチス・ヒトラーの同調者であったかどうか、そのことを本作を語る上でどうこういうつもりはない。 映画監督としてのレニーの評価とは別に、独裁政権下で、独裁者であるヒトラーの意向を受け、彼女自身がその党大会の全貌に対し、とてつもなく大きな美と生命を吹き込み映像によって甦らせたということ与えたということは紛れもない事実だろう。 レニにとってヒトラーは自分の才能を認めてくれる人物であり、彼の支援を受け存分に映画制作がさせてくれる強力なパトロンでもあっただろう。 「意思の勝利」の編集に際し、映画に映っていない幹部からクレームがつき、ヒトラーが幹部達の写真を挿入するよう要請したが、レニは拒否しヒトラーが激怒することもあったそうだが、結果はヒトラーが折れ、レニの編集のまま作品は完成したそうだ。それほどレニの芸術的センスをヒトラーは高く買っていたともいえるだろう。 アーティストとしてのレニの芸術的欲望と野心、そして政治家ヒトラーの欲望と野心が、光と影、表と裏の如く合致したのだろう。そしてその事がどれだけの危険な美しさで人々を魅了させる作品をつくりあげたかということが、本作で思い知らされる。 かつてベルリン・フィル・ハーモニ管弦楽団の指揮者であり音楽監督だったヘルベルト・フォン・カラヤンは戦時中ナチ党員だったことは周知の事実だ。 かつて彼はアドルフ・ヒトラー総統主催の第九演奏会の指揮を務め、ヒトラーから「君は神の道具だ」と絶賛され、またマスコミからは「奇蹟のカラヤン」と賛辞を贈られた。 四人の国籍の違う音楽家たちをモデルに彼らの1930代から現代に至る波瀾に満ちた愛とさすらいの人生を描いたクロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」でも、ヒトラーに認められ、彼の前で演奏する事を名誉と思い、喜びに打ち震えるシーンが描かれている。 ![]() カラヤンは後にナチ党員だったことについて語っている。 「(音楽)監督に指名される3日前、目標が目の前というときに、市の役人が会いに来て言った。『もうひとつ、必要な手続きがあります。あなたは党員ではありませんね。ナチ党管区長の話では、非党員のままではこの種の地位につくことはできません』。それで私は入党手続きに署名をした。」 しかし、映画は…… ゴダールがその「映画史」の中で繰り返し繰り返し語り続けた言葉が甦ってくる。 映画は物語を語る 映画は歴史を変えて信じろという 映画という芸術は幼くその力は弱い。そしてそれを生み出す人間もまた時代の価値感に惑わされ翻弄される弱い存在であるということ。 現実を、歴史を物語る映画は、現実をどうとでも塗り替えられる。 塗り替えられた現実が、一つの現実として一人歩きし、大衆はその現実を容易に受け入れる。 映画そのものがプロパガンダとしての宿命を背負って誕生したといえるだろう。 映画という幼い芸術は時代に翻弄され続け、神経をさらされ続けながらこれからもあり続け、「映画とは?」と問われ続けるのだろう。 ![]()
by mchouette
| 2010-02-05 15:53
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