by mChouette 検索
カテゴリ
全体 ■映画 =映画:あ行 =映画:か行 =映画:さ行 =映画:た行 =映画:な行 =映画:は行 =映画:ま~わ行 ■映画・雑記 ■ドラマ ■展覧会・コンサート ■一冊の本 ■徒然なるままに… ■美味しいもの ■アウトドア・旅 ■勝手にバトン ■ご挨拶・お知らせ 未分類 最新の記事
その他のジャンル
|
KATYN
2007年/ポーランド/122分/R15+ at:シネリーブル梅田 監督: アンジェイ・ワイダ 1939年。第二次大戦下、侵攻するドイツ軍から逃れる人々と、ソ連軍の侵攻に追われる人々が鉄橋でぶつかる。冒頭のこの映像が、ドイツに侵され、ソ連に蹂躙され、そして両国に分割統治されるというポーランドの二重の悲劇を強く物語る。 これがドイツとソ連の二重の脅威にさらされていた第二次大戦におけるヨーロッパ大陸における戦争なのだろう。日本もまたソ連が虎視眈々と狙っていた領土であることを思うと、ポーランドだけの悲劇ではない。イギリスのチャーチル始め連合軍の上層部では戦争の終盤にはドイツよりもソ連に対する警戒を強めていたのも肯ける。 そしてソ連に敗退しポーランド人将校たち1万5千人がソ連軍の捕虜となり、その後、彼らの行方は不明となった。その後、彼らの1943年2月27日、ドイツ軍の中央軍集団の将校がカティン近くの森でポーランド人将校たちの遺体が埋められているのを発見。ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層に渡って埋められていることが発覚した。遺体の数は数千人に調査の結果、ソ連占領下にあった1940年3月から4月にかけて殺害されたことが推定されたが、ソ連軍は、ドイツ軍が侵攻した1941年以降のドイツ軍ナチスの犯罪だと反論した。 そして冷戦下では「カティン」はタブーとされたという。またニュルンベルグ裁判においても「カティン」について触れられることはなかったそうだ。 アンジェイ・ワイダ監督の父も大尉としてソ連軍の捕虜となり、カティンの森で虐殺された将校の一人だったことを映画パンフレットで知った。しかし、映画の語り口は感情を排し、史実と遺された資料に基づいて、どこまでも淡々と、ドキュメンタリータッチで静かに描かれている。 それでもなお観るものの胸に大きな力で迫るものがある。ポーランドを蹂躙し続ける二つの国家の犯罪に恐怖し、二重に蹂躙され続けたポーランドの悲劇には戦慄さえ覚える。 カティンの森で発見された数千人の遺体を映し出した当時の映像は、ナチスによるホロコーストを思い出させるし、大戦後のベトナム戦争や中東紛争、ボスニア紛争…途絶えることのない殺戮が今もなお続いているという事実を突きつけられる。 遺族たちもまた悲しみにくれるだけでなく、闘いを強いられる。 ソ連軍の犯罪だという声明文を強要するドイツ軍に頑として拒絶し、ポーランド人として、人としてのプライドを必死に持ち続ける大将夫人。 かつて大将の家で家政婦として働いていた女性は、夫がソ連軍人民軍にいた功績から今では市長夫人となっていた。人々の運命もまた大国に翻弄される悲劇。 アンジェイ大尉とともに捕虜となるもドイツ敗退後ソ連によって編成されたポーランド軍としてソ連下で働くイェジ中尉は、己を恥じピストル自殺を図る。その死体も逸早くかけつけたソ連軍によって持ち去られる。全てを隠蔽せんとするソ連の恐ろしさを垣間見る思いだ。 ワルシャワ蜂起でレジスタンスとして戦ってきたアグニェシュカは自分の髪の毛を売った金で、カティンで虐殺された兄の墓石を作り、そこに兄が死んだ日を刻み込んだ。それはソ連軍の犯罪を如実に物語るものだった。ソ連軍に連行された彼女は死を覚悟で断固抵抗を示す。 「ここは誰の国? ポーランドはどこにあるの?」 祖国を奪われた者の憤怒を示すアグニェシュカの姿にアンジェイ・ワイダ監督の抵抗3部作の中で、闘い、人知れず死んでいった者たちの姿が重なる。アグニェシュカの抵抗も空しく石碑は打ち砕かれ死亡年月を記した部分は持ち去られていた。 アグニェシュカの姉はソ連軍に抵抗する妹を諭す。 「ワルシャワ蜂起の失敗を忘れたの? 世界は変えられないのよ。」 「すぐにでも入党すれば?」今や枢軸国となったソ連に従順たらんとする姉の姿勢を詰る。 ソ連軍の捕虜となってから死の直前まで克明に書き綴っていたアンジェイ大尉の日記が、夫の生死がわからぬまま彼の帰りを待ち続ける妻の元に届けられた。 1940年4月3日以降のページは空白のままだ。 別の収容所ではアグニェシュカの兄ピョトル中尉がロザリオで壁に文字を彫り付ける。日付は1940年4月10日。 大学教授であったアンジェイ大尉の父もまた、軍の命に反して大学を再会した罪でドイツ軍の手によって総長始め大学関係者はことごとく強制収容所に送り込まれ、父はそこで死亡している。 ポーランドを占領せんとするドイツ軍、そしてソ連によって知識人、将校たちポーランドの礎となる優秀な人材の多くが虐殺されたという事実。 カティンの森はそういう悲劇でもあるだろう。 車から降ろされ、両側からソ連兵に両腕をつかまれ、後ろにいるソ連兵が頭部をめがけて銃弾を発射する。流れ作業のように一人、また一人と車から降ろされて頭に銃弾を浴び、穴に放りこまれ、そしてシャベルカーによって土が埋められる。 ラスト映像はカティンの森で起きた恐るべき事実が、アンジェイ・ワイダ監督によって、無言のままで淡々と描き出されていく。 無言のもたらす重さでしばらく席から立てなかった。 これは、過去の史実を明らかにした映画ではなく、ポーランドで何があり、捕虜となった将校たちの家族がどれだけの思いを抱きながら日々を暮らし、ファシズムにどのように抵抗し、そしてどれだけの悲しみに覆われていたか、人々を描いた物語だろう。 そしてこれは過去の物語ではなく、今もなお、大国に侵され続けている国々で起きている物語でもあるだろう。 そんな思いを強く抱いて劇場を後にした。 日曜日、2回目の上映で鑑賞。満席で立ち見が出ていたが、観終わって劇場の外に出るとフロアーには次の3回目鑑賞の人で溢れていた。立ち見もかなりの数になっているみたい。この作品に対する関心の強さが伺える。
by mchouette
| 2010-01-12 13:09
| ■映画
|
ファン申請 |
||