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1984年/日本/143分この映画、劇場鑑賞以来だから25年ぶり。 先日、NHK・BSドキュメンタリーで「映画カメラマン 宮川一夫~没後10年 世界がみとめた映像の技~」を観ていたら、本作も宮川一夫の撮影したもの。巨匠作品を撮り続けていた宮川が自主制作映画の撮影カメラマンを務めた作品が本作だった。宮川一夫77歳。 91歳でなくなるまで光が生み出す陰影の美を追求していた彼は、病床にあっても車椅子を押す息子に光を求めて窓に近づいたり離れたりさせていたそうだ。晩年、車椅子で篠田正浩監督の「梟の城」撮影現場を訪れた宮川一夫に、篠田監督はワンシーンだけ宮川に撮影を依頼した。 キャメラの前で手を合わせ、片手をキャメラの上に置き、ジッとファインダーをのぞく姿には仕事人の力を感じた。カットの声にキャメラから離してもなおキャメラを愛しむように撫で、離れがたく、そしてその眼には涙が滲ませながら監督はじめスタッフに何度も頭を下げていた。そんな彼の姿に思わず涙がこぼれた。 80歳を過ぎてもなお映像表現の可能性を追い求め、ハイビジョンに強い関心を示していた、と彼の息子は父・宮川の映像の可能性に対する飽くなき情熱を語っていた。 京都の町屋で育ち、間口が狭く奥に細長い京の町屋で育ち、薄暗い屋内に天窓や内庭から射し込む光の陰影に美を見出し、小学生時代から習い続けてきた墨絵から養われた陰影で捉える眼識力と感性。 稲垣浩監督、溝口健二、黒沢明、小津安二郎、市川崑監督らと組み、黒沢監督と初めてコンビを組んだ「羅生門」(1950)では、太陽の光があたらない森の中の映像を、鏡を使い太陽の光を捉え、光と影の陰影が際立った映像に、「カメラが森に入った」と世界の映画人を驚愕させ、日本映画史上初の国際賞となるベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。 「世界のクロサワ」とともに「世界のミヤガワ」と絶賛され、彼の影響を受けた映画カメラマンは少なくはないだろう。「ショーシャンクの空に」、「ジャーヘッド」、「ノーカントリー」などを撮影したロジャー・ディーキンスは宮川の映像に魅せられ映画カメラマンになったと話していた。 モノクロからカラーに変わった後も、赤を際立たせる映像に拘ったという。 モノクロ映像の追求から、アカクロ映像の追求へ カラー映像だけど、モノクロの世界に赤の色彩が際立ち、それでいて違和感なく納まり、画面を引き締めている。 ![]() 子どもの頃、金魚鉢に墨を流しいれても墨色に染まった水に金魚の赤はくっきりと浮き出ていた。そんな映像を撮りたいと思っていたという。 ![]() ![]() 映画監督・黒澤明と撮影カメラマン・宮川一夫の名前を世界に知らしめた「羅生門」も、国内では公開時は「独りよがり」「判らない」と酷評されたそうだが、ベネチア映画祭金獅子賞受賞によって、日本国内でも評価が高まったというからお粗末な話だ。 ドキュメンタリーでも「おとうと」の一場面をノーマル映像と銀残し映像を比較させて見せてくれた。 銀残し手法を用いた主な映画作品で私が見たものでは、「セブン」(1995年アメリカ)、「プライベート・ライアン」(1998年アメリカ)、「39 刑法第三十九条」(1999年日本)、「友へ チング」(2001年韓国)、「リターナー」(2002年日本)、「マイノリティ・リポート」(2002年アメリカ)などなど。それぞれの映像を思い浮かべると、あぁ、そうか、あの質感だったんだって思う。その中でもロシア映画「父、帰る」 (2003)の映像はとりわけ印象的だった。 NHK・BSでは「おとうと」をニュープリント銀残し版として、その意図を忠実に再現した現像フィルムから新たにテレシネしたものが本日放送されている。録画予約してきたから帰ったら早速に観るつもり。1年ほど前にも市川崑監督特集でスクリーンで見たばかりだけど、その記憶にある映像と重ね合わせてみてみよう。 「瀬戸内少年野球団」というタイトルをつけながら、映画カメラマン宮川一夫氏の話が続いているのだけど、世界のミヤガワといわれ、巨匠と呼ばれる監督たちと組んで仕事をしていた彼が、巨匠作品から自主制作映画の撮影カメラマンとして篠田正浩とタッグを組んだのが本作。 2007年70歳でこの世を去った作詞家・阿久悠が郷里・淡路島での敗戦直後の少年時代を綴った同名小説「瀬戸内少年野球団」(文藝春秋/1983年)の映画化。原作は直木賞候補にもなった。 白血病で27歳で亡くなった夏目雅子の笑顔が今も眩しいくらいに輝いている。向日葵が好きだという彼女は、やはり大輪の向日葵を思わせる女優だった。大輪の華…夏目雅子、彼女のような女優はもう出てこないだろう。 ![]() それからこの映画に出ていた渡辺謙が、撮影現場での宮川一夫にまつわるエピソードを語っていた。 振り返るシーンがあって、その時、カメラを除いていた宮川さんがにこ~って笑って、何度も頷いてくれた事。出番が終りみんなに挨拶して現場を去る時、宮川さんが、謙ちゃんといって手招きしたので側に行ったら、笑顔で「謙ちゃん、勉強しようなっ。」って言ってくれた言葉。 本作が映画デビューだった25歳の彼に、熟練カメラマン宮川一夫からのエールともいえる笑顔と言葉が、映画の世界を歩み始める彼の支えになったそうだ。 で、渡辺謙が「瀬戸内少年野球団」に出ていた? どんな役で? ストーリーって覚えているようでいい加減な記憶。 彼は夏目雅子の夫で戦地で戦死したとされた郷ひろみの弟役で、未亡人となった義姉を愛し、執拗に関係を迫るぐれた青年の役。 その他、少年の1人でヤクザになるんやと息巻く少年「バラケツ」役の少年は、確か島田伸介の甥で映画初出演だったのでは。バラケツ役の少年が決まらなくって困っていた時に、島田伸介が“あいつ、どないや?”と紹介したとか、なんかそういう記憶が残っている…けど違っているかな? 島田伸介もバラケツの兄役でいきがったチンピラ役で登場していた。島田伸介をみて「バラケツ」少年の出演エピソードを思い出した。 バラケツ役の彼の根っからとも思えるバラケツ気質とも思える彼の自然体が、作品に凄いリアル感をもたらしていた。 敗戦後、教科書の軍国主義的な記載を墨で塗りつぶすことに反撥し、教師たちに悪態をつく場面もまた見事。 キューブリックが「フルメタル・ジャケット」で入隊した若者たちを非人間的な兵士に仕立て上げていく鬼教官の苛酷な軍事訓練を描く際、教官役の役者に演技指導するはずだけにきてもらった実際の教官が、あまりの迫力と生々しさに実際に教官役として出演してもらったという…バラケツの大森少年も、映画撮影におくびれず、地のままでのびのびと演じたのだろうなって思わせる彼の演技と迫力。こんな男の子っていた、いたって思わせる。父親が戦犯に問われ、最後の時間を過ごす為東京から淡路島に移り住んだ父とともに島に来た佐倉しおりが、シンガポールで絞首刑になったことを知り、迎えにきた兄と東京に戻る日。フェリーを見送って岸壁にたって歌うバラケツの後ろ姿に、子どもらしい一途さと一生懸命さと初恋の気恥ずかしさが感じられた。そんな彼の後ろ姿を宮川一夫氏はどんな笑顔でキャメラを回していたんだろうと思う。 25年ぶりに見た「瀬戸内少年野球団」 進駐軍に占領され、心棒を失い、誇りを失いかけている子どもたちに、夏目雅子演じる駒子先生が子供たちに「わたしたち 野球をやりましょう」と言う。 それは、愛する夫の戦死の報せの後、執拗に迫る義弟に負け一度だけ身体を赦した自分に対する戒めであり、強く前を向いて生きようとする駒子の決意でもあった。 生前の夏目雅子が「徹子の部屋」で「運動音痴でボールがまったくつかめなくって…」と撮影エピソードを楽しく話していたのも覚えている。 夏目雅子、郷ひろみ、渡辺謙の若手と子供たち。脇を大滝秀治、加藤治子、伊丹十三、岩下志摩たちが固め、歌手の“ちあきなおみ”も女優としてなかなかの存在感をみせていたし、バラケツ少年同様に島田伸介のチンピラぶりも地のままみたいで。 温かい太陽と人情溢れる島を舞台に、敗戦を引きずった大人たちの混乱、そんな大人たちをよそに島を走り回る子供たちの明るさと、少年時代の初恋のほろ苦さも実に生き生きと描かれていて、この映画に込められた思いがしみじみ感じられ、実にいい映画だった。
by mchouette
| 2009-12-10 15:04
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