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映画監督ハワード・ホークス(1896年~1977年)
アメリカ合衆国インディアナ州出身の映画監督。 お名前は存じ上げているけれど、彼の作品ってあまり観ていない。 彼のフィルモグラフィーを観るといくつかは観ているんだけれど、その頃の私はヨーロッパ映画だとか理屈っぽいのとか、内面こねくり回したフランス映画に眼がむいていて、面白いんだけど豚に真珠、猫に小判状態で観ていたっけ。 映画鑑賞適齢期でしょうか。 ちょっと前にWOWOWでハワード・ホークス特集をやっていて、リフォーム真っ最中だけど、録画だけはしっかりとしていたのをようやく落ち着いてお家シネマするゆとりが生まれ、ハワード・ホークス作品を堪能。 比較的初期の作品が多く未鑑賞作品が嬉しい。 いやぁ、ハワード・ホークスって、彼の生み出す作品って人情味にあふれた傑出した娯楽作品だわって思う。 これぞ娯楽に特化した映画という芸術の真髄じゃなかろうかって思うのは大げさだろうか。 放映作品の中で録画したのは 「光に叛く者」(1931年) 「暗黒街の顔役」(1932年) 「特急二十世紀」(1934年) 「永遠の戦場」(1936年) 「コンドル」(1939年) 「ヒズ・ガール・フライデー」(1940年) 「暗黒街の顔役」はリフォームのお疲れモードでフィルム・ノワール作品には手が伸びず録画しなかったけど、現金なものでちょっと元気が回復すると録画しなかったことを悔やんでしまう。 作品鑑賞と、ブログに書いていくスピードと時間が追いつかないので、今回観たハワード・ホークス作品をまとめて感想なんぞをあげることに。 結局のところは、面白かった! 良かった!に尽きるのだけれど……。 ハワード・ホークス作品って、普通の娯楽作品の定型みたいな風に始まるんだけれど、登場人物たちも最初のうちはさほど魅力的とも人間味溢れる風にも映らないんだけれど、ごくごく普通の町の芝居小屋的入り口なんだけれど、しかし、しかし、一旦その内部に足を踏み入れて物語が進むにつれて、物語の深みと奥行きがどんどんと拡がっていき、その濃さを増していき、そして登場人物たちの誰も彼もがどんどん重要な役割を担い始め、誰も彼もが魅力ある光と熱を帯びてくる。 役者の顔つきまで物語が進むにしたがって味わい深く変わっていくところが凄い! それをとりわけ強く感じたのが「光に叛く者」 ![]() 一人のひ弱な青年が誤って町の実力者の息子を殺してしまい、10年間の実刑を受ける物語で、その彼の成長物語としての側面を持ちながら、囚人間の強い仲間意識、友愛、人としての掟が力強く描かれていて、最後はハッピーエンドなんだけれど、人生の機微、示唆に富んでいて観終わった後はなんとも清清しくってホロリとさせられる。 「光に叛く者」は、日本でハまったくソフト化されておらず、1999年から翌年にかけて東京国立近代美術館フィルムセンターで催された史上最大規模のホークスの特集上映の際にも見られなかった超お宝の逸品だとか。 「特急二十世紀」は、「光に叛く者」とガラリと変わり、舞台と現実、女優と演出家の関係が丁々発止の、アップテンポな、なんともはやナンセンスかつ軽妙なるコメディとして展開していく。 ![]() ドリュー・バリモアのお祖父ちゃんにあたるジョン・バリモアの熱血奮闘の様が愉快。 最後のオチにも思わず笑ってしまう。 そう、思わず笑ってしまう笑い。 これぞ笑いの芸術! こんなスクリューボール・コメディ「特急二十世紀」の2年後には、戦場を舞台にした「永遠の戦場」を撮りあげている。 ![]() でもそんな前線にあって、息子の指揮下で祖国のために戦いたいと部隊にもぐりこむライオネル・バリモア(ジョン・バリモアの兄)演じる老兵士の存在がなんとも作品にユーモアをもたらす。 父と息子の最期のシーンなどは、見事なまでに父と子を描ききっているし、きっちり人生の落とし前をつけて死んでいくというその生き方の潔さ。 こうしてハワード・ホークス作品をみていると、ホークス自身の人としての人生哲学が燦然と散りばめられているように思う。 特集で一番最初に観たのが「コンドル」 ![]() 南米にある小さな飛行場。 中古飛行機を操縦して、悪天候とアンデス山脈の高峰をぬって郵便を配達する。毎日が死と隣り合わせの危険なフライトを強行するパイロットたち。危険承知で、それでも飛行機が好きでたまらない飛行機野郎たち。 そんな彼らを束ねるボスがケーリー・グラント。 濃霧の中、フライとしたパイロットのジョーが着陸に失敗して機体もろとも爆破炎上して死んでしまう。 彼らの弔いは「ジョーなんて奴はここにはいないんだ。」そう言って、普段と変わらず陽気に飲んで騒ぎ、フライト前にジョーが注文したステーキを上手そうに食べること。 死んだことを嘆き悲しんでも、何も変わらない。それでも生きていかないといけない。俺たちは飛ばないといけないんだ。 生きていくことの非情さをシニカルな視線で描いているのも胸をうつ。そして、それでも飛ぶことをやめられない男という生き物。そんな男を愛するがゆえに頭で理解しても、心が『行かないで』と止めずにはおれない女心。パイロットはもうたくさんと、彼の元から去っていった女が、次に愛した男もやはりパイロット。そんな男女の機微も繊細なまでに描ききっている。 ケーリー・グラントが登場した時には、「いつものケーリー・グラント」って感じだったけれど物語が進むにつれて、彼の本当の優しさとか、愛する者に去られた傷を抱えた痛みとか……ケーリー・グラントが、女が愛さずにいられない実に魅力ある野郎として映ってくる。そして彼を取り巻く飛行機野郎たちの、男と女とは違う男同士の友情とかが実に熱く描かれている。 最後に観たのが「ヒズ・ガール・フライデー」 ![]() ケイリー・グラント演じるシカゴ・エグザミナー紙の編集長ウォルターと、ロザリンド・ラッセル演じる女性敏腕記者ヒルディ。二人は元夫婦で二人三脚で数々のスクープをものにしてきた戦友でもある。記者稼業に嫌気がさし平凡な幸福を求めたヒルディはウォルターと離婚し、平凡で優しい男と結婚をきめたところから始まる。 記者としても女性としてもみんなひっくるめて別れたくないウォルターのあの手この手の結婚妨害作戦と、みんなひっくるめて断固ウォルターと縁切りして人並みの幸せをつかもうと考えるヒルディ。 それでも無実の罪で絞首刑になる男を前に、ムクムクと記者魂がヒルディの体内に充満し…それをうまく煽り立てるウォルター。スクープを前に形振り構わぬ分野魂も面白おかしくシニカルに。二人が見せるマシンガン・トークも絶妙で。これぞスクリューボール・コメディか!と。 そんなスピーディな展開の中で、記者魂というか、ブンヤ根性、それから男の本音、女心の本音、男女の間の複雑かつ単純さともいえる微妙さを見事に描いているのもおかしい。 ケイリー・グラントって良識のある人っていうイメージで、ヒッチコック作品などでもお見かけするけれど今まで彼に対してそれほど魅力を感じなかったけれど、「コンドル」とか本作のケイリー・グラントなんかみていると、なかなか良いではありませんか。 何気なく見過ごすようなシーンでも、そこにいる役者たち一人一人の動きや、何気ない仕草、表情、交し合う台詞など、映像の一つ一つが、なかなかに芸が細かい。 こんなところにも一人一人を生きた人間として描きあげようとするホークスの映画に対する姿勢というかポリシーのようなものを感じる。 今回録画作品で立て続けにハワード・ホークス作品を一気に6本観たわけだけれど、どの作品も、登場する役者たちがどれも魅力的に映ってくる。ちょっとこのキャスティングは違うんでは?って思っていた人も、はじめのイメージと違う色を帯びてきて、彼らの醸し出すカラーがみごとに溶け合って…… 今まであまりホークス作品に乗れなかった私にはとっては、今回のノリノリは新鮮で、評価も急上昇してしまう。 やっぱり映画鑑賞適齢期ってあるものだってつくづく思う。 観る者がどこでハラハラドキドキするのか、人が本当に胸打たれ、感動するのはどんなシーンなのか、そういったことをきっちりと押さえつつ、必要以上に誇張せずむしろ押さえ気味で描いている。その描写にホークスならではの細やかさと大胆さを見る。 すっかりハワード・ホークスに嵌ってしまい、休日の一日を録画したホークス作品にどっぷりつかっていた。 観終わった後が「映画を観た!」って思わせてくれるこの爽快感がまた堪らない。 彼のフィルモグラフィーを見ていて、1年ほど前だったかに観て、なかなかに面白いと思ったSFホラー小説の古典『遊星よりの物体X』では、ハワード・ヒューズに招かれ製作者として関わっていたそうだが、実質はクレジットこそされていないがホークス監督作品といってもいいほどに関わっていたそうだ。 最近の公開作品で観たいのがないと嘆くより、まだまだ観ていない作品、スルーしてしまっている監督作品がいっぱい。 最近の焼き直し作品をあてがわれるよりも、映画台頭期の監督のオリジナリティ溢れる作品を観るほうがいいもんだとつくづく思ったハワード・ホークス監督特集。
by mchouette
| 2009-09-29 09:47
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