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GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO
1974年/イタリア・フランス/121分 監督: ルキノ・ヴィスコンティローマ市内にある屋敷で、人との関わりを避け、世捨て人のように家政婦とひっそりと暮らしている一人の老教授。彼の趣味は18世紀イギリスで流行した「家族の団欒を描いた絵画」を収集すること。 そんな老教授のもとに、伯爵で右翼の大物実業家夫人ビアンカが訪れ、2階を貸してほしいと強引に要求し、教授の断りも意に介さず、その娘リエッタとフィアンセの青年ステファーノ、そして夫人の愛人で2階に住むべくコンラッドまでがやってきて、教授の平穏な日常は彼らの他人お構いなしのペースにかき回されてしまう。 こうして世捨て人だった老教授の屋敷の2階にコンラッドが住み始め、老教授と彼らとの奇妙な関係が生れ始めた。 老教授にバート・ランカスター。 コンラッドにヘルムート・バーガー そして伯爵夫人ビアンカにシルヴァーナ・マンガーノ 教授の回想シーンに登場する若かりし頃の彼の妻にクラウディア・カルディナーレ。 教授の母親にドミニク・サンダ。 もっと若い時はヴィスコンティ作品でも「郵便配達には二度ベルを鳴らす」とか「地獄に堕ちた勇者ども」とかが好きだったし、本作よりも「地獄に堕ちた勇者ども」のヘルムート・バーガーなんかの方が感覚にぴったりきていた。 しかし、最近はなぜか「家族の肖像」がお気に入りで、ここにきて繰り返し観ている。 観るほどに、解放感とは無縁の室内のちょっと息苦しさを感じる閉塞感と、蝋燭の炎と、骨董的重厚感のある空気と、そして隠微ななまめかしさが、静かな魅力でもって私の胸にひたひたとにじり寄ってくる。 傍若無人と映った青年コンラッドが、音楽や絵画に造詣が深いことを知るにつれ、教授の内でコンラッドという青年が、彼の心の襞を震わせ、次第に大きな存在となり始める。そんな教授の微妙な心情が見えてくる。 コンラッドもまた、人間との関わりを拒み、肖像画の家族の光景を慈しむ教授に、どこか自分と同じ匂い、同じ虚無感を嗅ぎ取ったのだろうか。 同じ音楽を愛し、同じ絵画に惹かれる初老の男と、過激な学生運動に身を投じ、社会から逸脱し上流階級の夫人たちの男娼として生きる若い青年。 喪った愛の痛みを抱えて老いた男と愛を売って生きる青年と、愛に背を向け、だからこそ誰よりも愛に敏感な二人の間に流れる、二人にしか触れ合わないような微かな合図のようなものが、二人の間に流れ合うような空気が静かにそれと分からぬように描かれている。 老教授を演じるバート・ランカスター。ヴィスコンティが、ヘルムート・バーガー主演の「ルートウィヒ」撮影中に心臓発作で倒れながらも執念で完成させ、その2年後に半身不随の身で撮りあげた本作。 「地獄に堕ちた勇者ども」がヘルムート25歳、 「ルートウィヒ」が28歳そして本作「家族の肖像」が30歳と、美しく変化していく20代後半から30歳のヘルムート・バーガーのそれぞれの年齢の美しさを映像に描きつくしたルキノ・ヴィスコンティ。 「地獄に堕ちた勇者ども」でヘルムートを全裸で立たせ、そして5年後の「家族の肖像」でも全裸でシャワーを浴びるヘルムートは、入ってきた教授の前で極めて当たり前のように全裸で向き合い、普通に会話をする。5年という歳月がこういうシーンすらすんなりと絵になる、ヘルムートの成熟すら感じさせる。 「ルートヴィヒ」の撮影現場ではスタッフたちがそばに近づけないほどヘルムートに対して激しい叱責と檄が飛んだという。そして私生活ではヘルムートにも自分と同じレベルの芸術的感性を求め、ヴィスコンティもまたヘルムートが好む音楽を理解しようとし、ビートルズをランチに招待したりなんかもしたそうだ。招かれたビートルズもさすがにこのランチには緊張しまくったとか。師として尊敬する人であり、父親以上に父親的な存在であり、そして恋人でもあったヘルムートにとってのヴィスコンティという存在。老教授とコンラッドとの関係に投影されているように思えてくる。 彼の美しい裸身を撮り、蝋燭の光の中でビアンカの娘リエッタと裸で踊るシーンは妖しいまでのなまめかしささえ覚える。ナイーブさと過激さの危ういバランスを抱えたコンラッドという青年。そしてその過激さゆえから起きた彼の死。 2階を歩く今は亡きコンラッドの足音を聴きながら、涙し、孤独を噛み締めて一人静かに息をひきとった教授。 実生活と重ね合わせて映画を観るというのは、あまり好きではないのだけれど、本作をなんどもみていると、ヘルムート・バーガーに対する愛情、シニカルな思いも含めヴィスコンティ最期のメッセージのように思えてくる。 「山猫」でバート・ランカスター演じたサリーナ公爵と、実の息子以上に愛情を注いだアラン・ドロン演じた甥のタンクレディだが、両親のいない甥に対する肉親の情愛以上のものは感じられなかったが、本作で老教授がコンラッドに抱く愛情は、魂そのものが求める、そんな叫びのような愛を感じずにはいられない。 しかしそれ以上にヴィスコンティは、本作で、第二次大戦を経験した教授、そして資本主義体制国家打倒を叫んだ1968年という時代のコンラッド、そのあとの豊かな物質文明を享受し、研いだ爪と自我を優しさのオブラートで包み世間と巧みに調和させる術をもったリエッタとステファーノという3世代を登場させることで、70年代以降の社会、家族、世代間の断絶、希薄な人間関係といった戦後社会の歪みを鋭い洞察眼で指摘し、痛烈な眼で描いていることにも驚嘆する。 今更ながら、私ごときがですが、ルキノ・ヴィスコンティの描いた映像世界って凄いなって思うし、好きだなって思う。
by mchouette
| 2009-07-27 00:00
| ■映画
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