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清水宏という監督についてちょっと調べると、忘れられた巨匠という言葉が目についた。生前には小津安二郎や山中貞雄といった監督と同列にいた時期もあり、小津安二郎や溝口健二をして“天才”と言わしめた映画監督「清水宏」(1903~1966)
清水宏の名前を知ったのは、市川崑が吉永小百合主演で田中絹代の半生を描いた「映画女優」で、田中絹代と熱烈な恋愛をし、周囲の提案で試験結婚という奇妙な結婚形態をとった監督だった、あの人が!というお粗末。この役を渡辺徹が演じていて、なるほど体型は似ているけれど、渡辺徹の映画監督というにはそぐわない雰囲気が却って印象に残っていた。その程度で彼の作品はまったく観ていない。 その清水宏監督の「按摩と女」を、石井克人監督が彼のオリジナル・シナリオをほぼそのまま用いてカラーで忠実に再現して「山のあなた 徳市の恋」(2008)というタイトルで草薙君主演で公開されたのは記憶に新しい。リメイクである本作は鑑賞スルー。オリジナルを観たら、リメイクには申し訳ないけれど観なくて良かったってつくづく思った。なにしろ漂う風情が違う。 今回WOWOWでその清水宏監督特集として5作品が5日連続で放映された。 放映はリメイクされた「按摩と女」(1938)からだったけれど、私は小説でもそうなんだけど、作家の足跡を追いたい方なので、清水宏に関しても録画作品を制作年を追って鑑賞した。 「有りがたうさん」(監督・脚色/1936年/78分/原作:川端康成)「有りがたうさん」 これはロードムービーではありませんか! 1930年代にしてこの斬新な発想、そして自在なカメラワークに驚嘆。バスに乗りあう人々や行きかう人々から、さまざまな人生を垣間見る。そして峠を越えるバスの車窓からの景色がバスに乗っているという臨場感を醸し出す。1台のバスをさまざまな人生を乗せたドラマの舞台に撮りあげた手腕は素晴らしい。 「風の中の子供」 この作品を見ていて強く思ったのは清水宏って構図の人だわってこと。構図を大切にし、そこから情感が伝わってくる。みているとロベール・ブレッソン作品に日本的情緒を加えたような…。オルミ監督の「聖なる酔っ払いの伝説」などがなぜかふと思い出した。今はもう失われた「子どもらしさ」とか、子どもの心情が細やかに掬い取られ、自然体で描かれている。かつてはあった日本の家族の風景がじつに生き生きと描かれていて、なにやら懐かしさを覚える。子供の視点で描かれた映像といえるだろう。 清水宏自身、両親が不仲だった為に母方の実家がある静岡で祖父に育てられ、小学生の頃は腕白で成績が悪く、父親の元に帰されるという子供時代を送っている。事情で一人親戚に預けられる小学一年生の腕白な三平少年は清水自身とも重なり、兄弟で父親と相撲をとるシーンなども彼の憧憬でもあっただろうか。 「按摩と女」 観終わった後、これぞ止めと思った作品。 構図一つ一つが見事。そしてその構図から、按摩の東京の女にほのかに思いを寄せる心情が実に細やかに伝わってくる。詩情溢れる構図といえるだろうか。東京へ帰る馬車に乗った女と、女が乗っていることを知っているにもかかわらず素知らぬ風を装う徳市。馬車が辻を回った時に思わず駆け出して追えないその人の姿を見えない眼で見ようとするかのような、なんともいえない切ない情感が映像全体に漂うラストシーン。私の中では今回鑑賞した清水宏監督作品では本作はぴか一の一番星。じっくりと深い味を感じさせる本作が僅か66分ということにも驚かされる。 「簪」 これは井伏鱒二の原作を映画化したもので、「按摩と女」と同じく伊豆の温泉宿を舞台にしていて、情緒ある作品ともいえるのかもしれないけれど、その情緒も「按摩と女」の焼き直しのようなわざとらしさや、くどさが感じられた。清水宏と恋愛関係にあった田中絹代が主演。お手伝いの女性に電話する時の下世話な口調とそれ以外で彼女がみせる奥ゆかしさとにずいぶんと隔たりを感じ、彼女の泥臭さが作品にメリハリを与えるよりもむしろ重くしているように思える。「有りがたうさん」の桑野道子や「按摩と女」の高峰三枝子の凛とした品が、作品に緊張を与え映像を引き締めていた、そんなものが彼女から感じられなかったのも一因だろうか。和服から洋服に着替え垂らした黒髪を後ろに払う仕草にわざとらしい色気を感じ、どうも好きになれないなぁ。私の中ではじめの3作品に感じ取れた瑞々しさが本作ではやや褪せてしまった感あり。 「みかえりの塔」も子供達を描いた作品だけど、ちょっと押しつけがましさを覚えた。 ★をつけたい作品で順位別に並べると「按摩と女」「有りがたうさん」「風の中の子供」となる。この3本は作品に生き生きとした生命のようなものを感じる。他の2本にはそれ以上の広がりが感じられなかった。このあたりが彼の限界? 今回の清水宏監督作品の止めはなんといっても「按摩と女」だけれど、感想を書きたいなって思うのは、その斬新な発想に大いに驚かされた「有りがたうさん」。……………………………………………………………………………………………………………… 「有りがたうさん」 1936年/78分 天城峠など伊豆の山間部を走る定期乗合バスを舞台に映画を撮るという斬新な発想に驚かされる。 実写精神を重んじた清水宏が当時としては異例の全編オールロケ撮影を敢行し、原稿用紙5枚ほどの川端康成の掌編をもとに撮りあげたのだそうだ。バスに乗り合わせた乗客たちには、貧しさから東京へ身売りされる若い娘とその母。その娘に卑猥に眺める偉ぶった保険外交員。身売りされる娘を気遣うバスの若い運転手。その運転手にご執心な、どこか訳ありの黒襟の女。行商人たちなど……。 そしてバスが走る峠道を行きかうのは、温泉宿に向う芸人たち、お遍路さん、近隣の百姓たち、荷車を引く動物、温泉宿に向う人たち、学校帰りの子どもたち、次の工事現場に向かう朝鮮半島からきた人々……。 そんな人たちや動物たちに、バスを運転するこの若い運転手は「ありがとう」「ありがとう」と追い越すたびに律儀にも右手を軽く上げてお礼を言う。だからこの運転手は近隣の人たちや峠道を行きかう人々からは「有りがたうさん」と呼ばれて慕われている。その上、水も滴るようなハンサムときているから尚更だ。 バスの乗客たちが交わす会話、バスとすれ違う人々たちと運転手との触れ合いなどなど…そこから人情やそれぞれの人生もみえてくる。峠を走るバスはさまざまな人生をのっけた人生の縮図のようなもの。そして昭和初期の日本も浮かび上がってくる。バスの中で彼らが交わす会話も極めて自然。婚礼にいく客が乗ってきて、続いて通夜にいく客が乗ってきて、縁起が悪いと婚礼客が降りると、通夜客も、歩かせたら申し訳ない、わし等も歩こうとバスを降りるといったユーモラスなシーンなどにも、今では忘れ去れられたこんな思いやり、気遣いといった人情が、そこはかと描かれている。 バスの中の乗客たちは、身売りされる娘を気遣う空気がどこやら漂っている。しかし山間を軽快なスピードで走るバスを描いた映像に流れるのは、どうかすると湿っぽくなりがちな空気を吹き飛ばすような軽快な行進曲を思わせるようなメロディ。このあたりも従来の日本映画にありがちなお涙頂戴路線とは一線を画しているのも嬉しい。 峠を走るバスを舞台に、身売りされる若い娘とそれを気遣う若い運転手の心情を基調に、人間模様を描きあげようとは、これはロードムービー! 今でこそ当たり前の演出だけど、こんな発想をする監督が昭和初期の日本にいたんだ!って思うと嬉しくなる。 駅馬車に乗り合わせた人々の人間模様を描いたアメリカ映画「駅馬車」が1939年製作だから、それよりもまえのこの作品。峠のバスと、アパッチの襲撃も絡めた西部開拓時代の駅馬車とは映画の迫力とか醍醐味はずいぶんと違うけれど、発想は同じだろう。清水宏の切り開いた感覚、彼が描いた日本的情緒が映画文化として蓄積されず埋もれてしまったのも残念に思う。ヨーロッパでは映画は文化として捉え成長し、アメリカはビジネスとして成長させ、日本ではどっちつかずのまま娯楽と捉えられていたんだろう。映画監督たちにもどれほどの意識があっただろうかとも思う。 本作で眼を瞠ったのが自在なカメラワーク。 走るバスを捉える視線。バスの中にあっても最前部から、後部から、中ほどから、さらに売られていく娘を気遣って運転席のミラーから最後尾にいる母娘を捉えた視線など、下校帰りの子どもがちゃっかりとバスの後ろに乗っかっている様などもしっかりと捉えている。バスに乗っている乗客たちの視線で捉え、バスという狭い空間とそこに座る乗客たち、人々がじつに生き生きと描き出されている。 カメラはさらにバスの窓からみえる伊豆半島の景色を映す。バスの窓からみえる自然の景観は、ただじっと見ているだけでも飽きない。清水宏の演出感覚というか、彼の映画に対する視点や意識が見えてくる。 街が僕たちのスタジオだと、手持ちカメラをもって街を舞台に映画を撮りはじめたフランス映画界のヌーヴェルヴァーグたちを思うと、清水宏が戦前に自由なカメラワークで撮った「有りがたうさん」はロードムービーの先駆けともいえるし、そしてまさにヌーヴェルヴァーグの先駆けともいえる作品だわって思う。 彼らが愛するパリの街を生き生きとフィルムに撮ったように、清水宏は生れ故郷の伊豆の自然風土を生きた眼で撮りあげた。 アッパス・キアロスタミはの「そして人生はつづく」では、地震被害をうけた村を訪ねるために車を走らせる監督と息子が出会った人々と交わす会話や周りの景観からイランの風土が見えてくる。タジキスタン共和国のバフティヤル・フドイナザーロフ監督の「少年、機関車に乗る」も機関車から彼は自分の国を描き出そうとした。 こんな映像を撮る人が日本映画界にいたんだ! 山中貞雄の自由闊達な感覚で描いた時代劇を見たときも思った同じ嬉しさ。 バスの若い運転手に上原謙。本作が彼の主演デビュー作。私が知ったのは加山雄三のお父さんということで知った人。そして黒襟で凛とした美しさを見せた女性が桑野通子。中年あるいは老人になってからしか知らない役者たちの若い頃が観れるのもまた興味深い。「簪」では田中絹代が好意を抱く青年に笠智衆とは!笠智衆も青年の頃があったんだと当たり前に驚いた。「按摩と女」の佐分利信も若いこと!しかしなんといっても「按摩と女」の高峰三枝子のあの涼やかな美貌!
by mchouette
| 2009-07-01 00:00
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