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ZAVET
PROMISE ME THIS 2007年/セルビア・フランス/127分 at:シネ・リーブル梅田 監督: エミール・クストリッツァ映像の最後を飾るのは「HAPPY END」という文字。 人生は続いていくけれど、人生のそれぞれのページはhappy Endで締めくくっていこうという、そんなクストリッツァのメッセージが、またもやあの喧騒ともいえるウンザ・ウンザ・サウンドの元気よさに乗って、田舎と都会、善人と悪人、東西世界、冠婚葬祭、人生ごった煮物語がごった煮状態で繰り広げられる。 ユーモラスななかにもいつもシニカルでブラックな視点のクストリッツァだけれど、本作は自然豊かなセルビアの山奥で、おじいちゃんと二人で暮らすツァーネが都会で嫁さん探しを描いた物語。 政治とはかけ離れたドタバタ物語のようにみえるけれど、よくよくみると、そこかしこに彼流のユーモラスでもってシニカルな視点がちりばめられている。 ツゥーネ役のウロシュ・ミロヴァノヴィッチ君は「それでも生きる子供たちへ」でクストリッツァ監督の「ブルー・ジプシー」に出演していた男の子。 ツァーネの両親も亡くなっていて、村には働き盛りの男たちはいない。ツァーネが都会で一目ぼれするヤスナも母親と二人暮し。その母親もヤスナに内緒で生活の為風俗店で働いている。 紛争で男たちは戦死してしまったのだろうか。 登場する中年といえば、権威を傘にきる教育相の役人とか、弱者を食い物にするマフィアのボスといった悪い奴らばかり。 マフィアのボスに久々ミキ・マノイロヴィッチさんが登場。彼はなにをやらかしても味のあるキャラをみせてくれる方。 「ヒトラーは憎しみからポーランドに侵攻したが、いまの戦争は愛ゆえに起きている」とおじいちゃんが語る台詞は、泥沼化して出口の見えない今の紛争をグサリと突き刺している。だから余計に複雑でやるせない。 権威主義の役人や、資本主義の象徴のようなワールド・トレード・センター建設に血眼なっているマフィアのボスたちと戦うツァーネやおじいちゃんたちが脇目もふらずに向うのは「HAPPY END」。 最後には葬式の行列と結婚式の行列がぶつかり合い、おじいちゃんが仕掛けた落とし穴、おじいちゃんが考案した珍発明品の数々といいクストリッツァの頭の中はどこまでドタバタのエネルギーが渦巻いているんだろうと思わせる。 ツァーネが嫁さんを連れて帰ってくる日を待ちながら、おじいちゃんはウェディング・ベルまで手作りして孫の帰りを待っている。こんな思いはドタバタの中にほろりとさせられる。 ツァーネとおじいちゃんが暮らすセビリアの村は、クストリッツァ監督が「ライフ・イズ・ミラクル」のロケ地が気に入って、買い取って自身の村にした所なんだそうだ。 それからクストリッツァ作品では欠かせない存在の動物たち。 今までは動物たちは人間たちの内面を表象する存在としてあったけれど、本作ではみんな普通に動物として生き生きと(?)味のある存在として登場しているのも可笑しい。 途中で、話に広がりがなくって中詰まり状態になるけれど、これはクストリッツァ監督作品では良くあること。そんなこんなでいろいろあるけれど、それでも、とにかく、ずんずんとHAPPYに向かっていく!っていうことじたい、すっごくパワフルなメッセージだと思う。 でも落とし穴には気をつけるんだよって、ユーモア交じりの皮肉も忘れていない。 そして都会に嫁探しに行ったツァーネがイージーに都会で根を下ろすんではなくって、立ちはだかるマフィアのボスと立ち向かいながら、自給自足の村に帰るというところにクストリッツァの「人間らしく生きようよ」っていう強いメッセージと受けとめた。 そしてクストリッツァ作品をみていると、このパワフルで混沌としたごった煮状態って、ヨーロッパの火薬庫と言われていまだ紛争の絶えないバルカンの人々の、苛酷な現実の裏返しだろうと思う。クストリッツァがパワフルンジなればなるほど、それは置かれた状況の厳しさを物語っているんだろうと思う。それを弾き返すほどのエネルギーで現実をシニカル・スパイスでユーモラスに描いていく。音楽に魂をこめたジプシー・サウンドが力を与えているんだろう。
by mchouette
| 2009-06-10 00:00
| ■映画
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