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J'ai pas sommeil
1994年/フランス/109分 監督: クレール・ドニ 英語タイトルは「I CAN'T SLEEP」 マチュー・カソヴィッツ監督の作品で、外国からの移民や低所得者が暮らす「バンリュー(郊外)」と呼ばれる地域を舞台に、社会から疎外された若者たちの心の社会に対する憎悪が犯罪を生み出す負の連鎖を描いた「憎しみ」で「フランスのもう一つの顔」という言葉で、この作品を紹介した。 本作もまたフランスの首都「パリのもう一つの顔」という言葉で語れるだろう。 パリ18区といえばモンマルトルの丘。 そこは、アフリカ系やアラブ系移民者など様々な人種が混在し、パリのなかでも人種と社会の坩堝ともいえる地区。 1987年、18区で実際に起きた老女連続殺人事件を題材に、18区に生きる移民たちの孤独を描きだした群像劇。 故郷リトアニアで知り合ったプロデューサーの話を真に受けて、女優になるため故郷からパリにやってきた少女ダイガ。早朝パリに着いタイガがカフェに立ち寄るが言葉がうまく通じない。 カフェの主人は「最近のパリは移民だらけだ」と愚痴をこぼす。 期待に胸膨らませてプロデュサーを尋ねるが体よく追い払われ、寝起きする安ホテルの清掃をするしかない。 そのホテルにはカミーユというゲイの青年が愛人ラファエルと一緒に暮らしていた。アフリカ系移民のカミーユは精悍な肉体を売り物にゲイ・クラブでダンサーをしている。 カミーユの兄テオは、夜はライブハウスでバイオリンを演奏し、昼間は安い工賃で家具の組立をしている。小切手でという客に、現金が約束だ、その分安くしているというと、「どのみち不法移民のもぐりの商売だろう」と罵声を浴びせられる。テオの隣は夫婦喧嘩が絶えず、テオは子どもを連れて屋根の上で眠る。 そんなパリでの生活にみきりをつけ、自分たちの故郷であるマルティニークに移住しようとするが、フランス人の妻モナと激しく衝突する。 そんな18区で起きた連続老女殺人事件。 カミーユもテオもアフリカ系移民2世だろう。 両親は豊かな暮らしを夢見て、故郷での苛酷な暮らしを捨てパリに移入したのだろう。そしてテオは、パリでの生活に疲れ果て、故郷に帰って人間らしく暮らしたいと考えている。 恐らくは故郷にそんな夢見るような暮らしは待っていないだろう。妻や妻の母親が反対するのはそれが夢物語だからだろう。そんな夢をみないと辛すぎるくらいテオにとってはパリでの生活に生きる気持ちも萎えてしまったのだろう。 老女殺人の犯人はカミーユとその愛人ラファエルだった。 そしてそれを知っていたタイガは、カミーユが警察に連行されると彼の部屋に忍び込んで彼が隠していた金を奪ってパリを旅立つ。 底辺から抜け出せず、そんな生活に疲れ果てたタイガやカミーユの心が荒んでいったのが辛い。 逮捕されたカミーユに母親が泣いて叱責する姿も憐れだ。 そんなカミーユをテオはただ見つめるだけだ。 テオにはカミーユに対する怒りも悲しみも、そういった人間的な感情で心動かされることに疲れていたのだろう。その辛さから逃れようとアフリカへ移住しようとするテオの選択も哀しい。 アフリカへの移住を決めたテオに対し、妻は子どもを連れて家を出るが、やはりテオを愛する気持ちは変わらずテオの元に戻る、そんな人間の絆がせめての救いだ。 監督は「ショコラ」「カーゴイル」のクレール・ドゥニ。 彼女の作品は今ひとつという印象だったけれど、本作は私としては好印象。 どこまでいっても異邦人でしかない移民たちの姿の断片を、距離をおいてじっと見つめた作品。 ここで描かれているパリはエリック・ロメールが描くような白人たちが恋人たちと歩く太陽と緑と風に溢れたパリではなく、夜に闇に紛れるように移民たちの暮らすパリ。 もう一つのパリの顔。 移民問題と向き合った作品だろう。 1994年 カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品
by mchouette
| 2009-03-19 14:36
| ■映画
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