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REVOLUTIONARY ROAD
2008年/アメリカ・イギリス/119分 at:TOHOシネマズ梅田 監督: サム・メンデス 1950年代の音楽とか、ファッションとかもなかなかよくって、ラスト・ショットは、サム・メンデスこうきたか!って、そのシニカルで醒めたユーモアに思わずニヤリとしてしまった「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」 邦題の「燃え尽きるまで」にはちょっと言いたいところはあるけれど、それは後で述べるとして……。 この作品、映画紹介などでは、 伝説のカップル再び!ディカプリオ&ケイト10年の奇跡チェック:1950年代半ばのアメリカの郊外の街で、夢と希望に人生を懸けようとする若い夫婦の葛藤(かっとう)と運命を描く感動作。 たしかにレオナルド・ディカプリオ演じるフランクとケイト・ウィンスレット演じるエイプリルの夫婦がみせる夫婦喧嘩は、イングマール・ベルイマン監督の「ある結婚の風景」で妻役のリブ・ウルマンと夫役のエルランド・ヨセフソン。この中年夫婦が離婚を前に見せた、スクリーンで観ていて恐さすら覚えた壮絶な夫婦喧嘩のシーンにも匹敵するぐらいの生々しさ。 夫と妻がそれぞれ違うところを観ているすれ違いの中で、互いを説得しようとする姿に、オゾンの「ふたりの5つの別れ路」と重なったり……。 そこまでのシリアスさで描かれたこの夫婦のドラマと、そして彼らが去った後、レボリューショナリー・ロードと呼ばれる郊外に開発された新興住宅画街区に住む、彼らを知る隣人夫婦や、彼らに不動産を仲介したキャシー・ベイツ演じる不動産業者がこの夫婦について語る一連のシーンをみていると、 サム・メンデスは本作を三面記事的視点で描いたんではないかしらって思う。 新聞などで報じられる事件などでも、当事者のキャラクターは、それが悲劇の要因とも思える点などは強調されて語られるように、フランクとエイプリルの人物像も、彼らの視線で捉えられた人物像として描かれているんではないかしらと思えてくる。 あの夫婦。いい人たちだったわ。でもちょっと変わっていたわね。 ゴールデングローブ賞を受賞したケイト・ウィンスレットも良かったけど、無冠に終ったレオナルド・ディカプリオのきめ細やかな演技は良かったわ。力みすぎと感じるところが抜けたら、彼はオスカー受賞の実力もっている人。オスカー取れない無念さが力に行かずに、内面で醸熟されて味になって出てくるまでじっと我慢の人じゃないかな。 彼らがつくる郊外のコミュニティ社会の欺瞞性も恐ろしい。 隣人とは仲良く、笑顔で接しましょう。 ティム・バートンの「シザー・ハンズ」(1999)でも描かれている郊外の住民たちの精力的なコミュニティなどを観ていると、しんどさを覚える。ロバート・レッドフォードの「普通の人々」(1980)でも、妻は家族の汚点とも思える話題を隣人と交わす夫を非難する。 そしてアメリカの影の部分を描いてきたサム・メンデスは、フランクとエイプリル夫婦を通して、1950年代という時代を描いている。 1950年という時代は、まさにアメリカ経済が高度成長を突っ走り、かつて移民の国アメリカが、第二次大戦の戦勝国として自由主義陣営の雄として輝く繁栄の真っ只中にあり、そして人々はアメリカン・ドリームの成功と幸福と豊かさの象徴として、絵に描いたようなアメリカン・ファミリーを体現すべく、広い庭のある瀟洒な住宅を求め郊外に移り住み始めた時代でもある。 古い田舎の町を通り過ぎた先にある「レボリューショナリー・ロード」と呼ばれる新興住宅地。 それはアメリカン・ドリームを担うべく敷かれた一つのレールともいえる「レボリューショナリー・ロード」。 そして男たちは自分たちの幸福な生活を保障してくれるアメリカの繁栄を支えるべく、同じようなソフト帽を被り、スーツを着、羊の群れのように都会に向けてレールに乗せられて走る。 田舎の建物が遺物のように存在する中で、未来が中途半端に出来上がっている、過去と未来が不調和に共存した街。 「レボリューショナリー・ロード」。 なんと皮肉なネーミング。 フランクとエイプリルはそんなアメリカン・ドリームの戦線から離脱した落ちこぼれともいえるだろう。 伝統という縦の価値観に、アメリカン・ファミリーという新しいコミュニティが横から突き刺して、過去の価値観を引きずって未来に向かって自己実現を果たそうとする価値観が鬩ぎあう。 そしてフランクやエイプリルのように落ちこぼれないように、必死にアメリカン・ファミリーたるべく、それぞれの役割を演じようとする彼らが辿る先にあるのが、サム・メンデスの映画デビュー作「アメリカン・ビューティ」(1999)のあの家族崩壊のシナリオだろう。 競争社会と物質文明の豊かさの中で、自分自身を見失っていく人々。 社会に蔓延する個人の疎外感。 夫婦であり続けようと向き合ったフランクとエイプリは、過去の価値観を色濃く残した1950年代の夫婦だったのだと思う。 そして、フランクとエイプリルに起きた悲劇よりも、彼ら夫婦と家族ぐるみで付き合っていた隣人のミリーが見せる無邪気を装った笑顔もまた怖ろしいと思う。彼らキャンベル夫婦の数十年先の姿を想像してしまう。 「燃え尽きるまで」という日本語のサブタイトル。 これは、この作品のどこを観てこんな言葉が出てきたんだろう。 あのラストをどう受け止めた? きっと、その人はベンチで陰鬱な表情で座るフランクの、そのシーンでエンディングだと思い映写室から飛び出してこの言葉を引きずり出してきたんだろうか。 この映画の本当のドラマは、その後のシーンではなかろうかと思うんだけど。 人生、燃え尽きるほど簡単なものでもなく、燃える火種がなくなっても、くすぶり続けるしぶとさを人間は持っている。 燃え尽きたと思っても、泣いてもわめいても、絶望してもそうやって生き続けていくのが人間で、ラストシーンにサム・メンデスの、醒めたとも、あるいはアイロニカルともいえる彼独特のユーモアを感じる。 以前、サム・メンデス監督の「ジャーヘッド」の記事に「愛情いっぱい!家族ブロ!」のしゅべる&こぼるさんからこんなコメントをもらった。とても的確にサム・メンデス監督とその作品を掴んでられる。 「彼は俗にいう「サヴァービア」の視点でものを描く作家だと思う。 「レボリューショナリー・ロード」を観終わった後、無性に気になって劇場から歩いて5分くらいのところにあるTSUTAYAでレンタルしたのがロバート・レッドフォードの「普通の人々」(1980) 1936年生まれのレッドフォードは、フランクやエイプリルと同時代感覚を共有できる世代とも言えるだろう。彼は家族の崩壊のドラマの中で、父と息子の間に新たな愛の関係を見出させている。そして同じく郊外に暮らす中流階級の2組の家族を描いたアン・リーの「アイス・ストーム」でも、そのラスとは家族の再生を描いていたと思う。 そしてサバービア世代とも呼ぶべき1965年生まれのサム・メンデスはというと、彼の今までの作品を観ても、どれ一つとして希望の光は描かれていない。現実世界を淡々と描く。 「ロード・トゥ・パーディション」にみるラストの光も、彼が都会の暗黒街に生きざるを得なかった父の人生と違う人生を選び取ったということにすぎない。 「ロード・トゥ・パーディション」の時代でもある20世紀初頭。ニューヨークにたどり着いたアメリカ移民だった父がそうしか生きれなかった人生と、大地に根づいた人生を選んだ息子。 そして父はアメリカで生きぬくために、暗黒街でファミリーという擬似家族の一員となり家族を養う。 「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」の時代である1950年代には、そんな息子が選んだ都市経済とは無縁の大地に根ざして生きる暮らしも、戦後の高度経済成長の大きなうねりの中で、郊外の土地は新興住宅地として大規模開発されていき、新住民たちによって作り出されたコミュニティ社会に旧社会はその価値観もろとも飲み込まれていく。…… 泥沼化するベトナム戦争によって、人々の中にあったアメリカン・ドリームは内部から崩れだし、人々は夢の欺瞞と虚飾に気づき始め、そこに鋭くメスを入れシリアスに描いたのがロバート・レッドフォードの「普通の人々」であり、アン・リーの「アイス・ストーム」であり、サム・メンデスの「アメリカン・ビューティ」だろう。 20世紀の終末近く、湾岸戦争を描いた「ジャーヘッド」では、ボタン一つで大量虐殺も可能なテクノ戦争の中で、兵士たちは戦争というもっとも人間の本能ともいうべき戦場においてすら、いいようのない疎外感に陥る。後に残るのは、僕の手に一生刻み込まれ残るであろうライフルを持ったあの感触だけ。 レッドフォードやアン・リーが郊外を舞台にした家族崩壊のドラマのラストにおいて、関係の復活あるいは再生に光を当てた二人称であるのに対し、サバービア世代ともいうべきサム・メンデスは、常に一人称で終っている。 サム・メンデスが4つの作品で描き出した、アメリカに代表される20世紀という時代が抱える暗部。 「虚しさを感じるのは簡単だけれど絶望を感じるのは勇気がいる」といった、キャシー・ベイツ演じる不動産業者の息子ジョンの言葉にもドキッとさせられる。 そして本作「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」のあのラストショットでみせた至福の笑顔は、痛烈な皮肉であり、幻想から目を覚まそうよ、というメンデス監督のメッセージとも受け止められた。 最後に撮影のロジャー・ディーキンスについて。 コーエン兄弟ではお馴染みの撮影監督。 サム・メンデス監督とは「ジャーヘッド」から。 「ジャーヘッド」の映像も素晴らしかった。 本作でも彼の撮影する映像が素晴らしい。 とりわけ好きなのは、凄まじい夫婦喧嘩の翌朝の光景。 朝の光りが入ったダイニング。 何も変わらないいつもの光景のようにみえて、何かが全て変わってしまったような、そんな懐かしさと緊張が混じりあった光景。
by mchouette
| 2009-02-07 00:00
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