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「アキム・コレクション」2日目の日曜日は楽しみにしていたルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」と、ミケランジェロ・アントニオーニの「太陽はひとりぼっち」。
「太陽がいっぱい」 PLEIN SOLEIL PURPLE NOON 1960年/フランス・イタリア/117分/カラー 「太陽がいっぱい」は記事アップしているから、改めてこまごまと書こうとは思わないけれど、こうやってスクリーンで観ると、やっぱりトムとフィリップの間に流れているのは同性愛だなってつくづく思う。トムがフィリップに仕掛ける駆け引き。この辺の演出はルネ・クレマンは上手いなって思う。トリュフォーがルネ・クレマンを扱下ろしたのは、案外と彼の才能に嫉妬した?って思えてくる。犯罪を犯したトムの心理がその緊張感は淀むことなく巧みに、そして緻密に描かれている。これも何度も観ているけれど、ヨットのスクリューに巻き込まれて引き上げられたフィリップの死体が見つかる場面からラストに至るシークェンスは、ドキドキしてしまう。 「太陽はひとりぼっち」 L' ECLISSE THE ECLIPSE 1962年/イタリア/124分/白黒 20歳で知った男と女の愛。 3年たった今では、彼を愛しているかどうかもわからない。 男との関係に未来を見出せないヴィットリオ。 確かだと思っていた「愛」が、なんと不確かで曖昧なものか。 自分の存在すらも曖昧なものとして感じられる。 株式ディーラーのピエールの屈託の無さに近しさをおぼえながらも、素直に感情を出そうとはしゃいだりするけれど、それも次の瞬間には空疎は笑いとなって空で宙吊りになってしまう。 証券取引所では秒単位で株価が動き、ボードに映し出される数に人々は群がる喧騒と狂乱の世界。そして株の大暴落…資本主義社会の実体のない世界で繰り広げられるマネーゲーム。 物質の豊かさと引き換えに、心が乾き自らを見失っていく。 現代社会における愛の不毛としか言いようのない疎外感を覚えるヴィットリオ。 そんな感覚をアントニオーニがモノクロ映像で、見事に描きあげている。 この頃のアントニオーニの影像表現のセンスって冴えてるなって、これも改めて本作を観ていて思う。 交差点、コンクリートの建物、水道からしたたって流れる水、木々の揺らぎ…… 何気にない日常に、ふと覚える異質な感覚。 そこに溶け込めない異邦人のような疎外感。 ヴィットリオの自分でもわからない曖昧な感覚。 そこから突き出してくる自我……。 上手いなって思いながら観ていた。 映像から醸し出される空気、そこから受け止める感覚って、スクリーンならではのものがある。 こういうのが劇場スクリーンで映画で味わう幸福感なんだろう。
by mchouette
| 2009-01-19 00:00
| ■映画
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