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LES DEUX ANGLAISES ET LE CONTINENT
1971年/フランス/106分 20世紀初頭のパリとイギリス・ウェールズを舞台にした、一人のフランス人青年と二人の英国人姉妹との間における長きにわたる愛と別離を描いた物語である。 青春の光と影、そして訣別を描いた作品といえるだろう。 トリュフォーはこれを決して甘美で感傷的なものとしては描いていない。 女性の初体験に伴う肉体の痛みまでも生々しく描いている。 この生々しい痛みの描写はトリュフォー作品でも特異ともいえるのではないだろうか。 フランス人青年クロードは、母親の友人の娘で彫刻家志望のアンと出会う。妹のミュリエルを紹介したいという彼女の誘いでクロードはイギリスへ渡る。クロードは姉妹の両方を愛してしまい、姉妹のほうも2人ともクロードを愛するようになる。 姉妹はクロードを「大陸」と言うニックネームで呼んだ。 姉妹にとってクロードは、心ときめかす初恋の対象であり、大陸の憧れの象徴でもあっただろう。 初恋の眩しいほどのときめきと、曖昧さ、切なさと、そして性に対する好奇心と怖れ。 姉妹はともに初めての性体験をクロードと行う。 クロードと一線を越えた姉のアンは、パリの自由な空気の中で恋に奔放な女性へと変身していく。アンはこの後、結核を煩い若くしてこの世を去る。 幾度かの躊躇いの後、二人は結ばれるが、アンにとってクロードとの体験は恋愛の通過儀式であり、むしろ自由な恋愛へと羽ばたいていく第一歩であり、痛みよりも未来に対する期待の方が大きかっただろう。互いに恋愛感情は抱きながもアンの愛はクロード一人に向けられず、次第に二人の関係は疎遠になっていく。 妹ミュリエルにとって、愛は妻になることだった。そのストイックなまでの彼女の気質が、クロードに初めての「愛と苦悩」を突きつける。 幼い頃からの自身の性癖を生々しく告白した日記をクロードに送り、「姉と妹を妻にするつもり?」という問いに、姉妹に対する愛の間で宙つり状態にあったクロードは自問自答する。 その苦しみから逃れようと小説を執筆する。二人の男を愛し続けた女性の物語。タイトルは「ジェロームとジュリア」 映画「突然炎のごとく」の原作「Jules et Jim」が頭に浮かぶ。 映画「突然炎のごとく(原題:「Jules et Jim」)」そして「恋のエチュード」の原作者は共にアンリ・ピエール・ロシェ。原作タイトルは「二人の英国女性と大陸」。 そして出会いから7年後、教師としてブリュッセルに赴任するミリュエルとクロードは再会し結ばれる。痛みがミリュエルの身体を貫き7年間の思いを吐き出すように真っ白なシーツに流された夥しい血。 トリュフォーは、できればその血の中に男の精液も混じえて描きたかったそうだが、さすがにそこまでする勇気はなかったと語っている。この儀式はまた訣別の儀式でもあった。 「二人の恋を葬るために会いにきたの。貴方とは結婚できない。貴方は夫になるより、仕事に生きる人だわ。私たちの恋はつまづき、終ってしまったのよ。でも貴方のおかげで愛を知ったわ。私は私の宗教に支えられて生きていくわ。お互いに一人になるのよ。」 悲痛な別れから15年の歳月が流れ、クロードクは風の便りでミリュエルたちの母親も死に、イギリスの家も人手にわたり、ミリュエルが教師と結婚し女の子を産んだことを知る。 肉体の痛みを通過し、姉妹はそれぞれ女としてその人生を生きていく道を見つけ、アンは結核で死んだが、ミュリエルは妻となり母となり現実の世界で暮らしていることだろう。 15年の間に、戦争があり数百万人が死んでいき、今ではその理由も忘れられている。 「今」という現実の中で過ぎ去った時間は風化していく。 そしてクロードは、かつてアンとよく訪れたロダン美術館を訪れ、見学にきていた英国人学校の幼い生徒たちに子供の頃のミリュエルの面影を重ね、彼女の子供がいないかと探す。 時が風化していく現実の中で、クロードの内ではミリュエルとの悲痛な訣別の時から止まってしまったままの時間があるのだろう。その時間の中で7年間のあの青春の日々が生き続けているのだろう。 そしてふと窓ガラスに映った自分の顔を見て呟く。 「これが私か。まるで老人のようだ」 ミリュエルやアンは、肉体を貫いた痛みと共に戦慄にも似た愛とあの時間と訣別し、現実の世界へと足を踏み入れたのだろう。 そしてクロードは、内面の痛みだけを抱えた男たちは、自らの半身を捜すように失ってしまった何かををいまだに追い求めているのかもしれない。 そして現実の自分の姿に、それはあまりにも遠くに過ぎてしまったことに、いまだに戸惑うのだろう。 ロダン美術館での「エピローグ」と題された数分間のこのシーンは、ロダンの彫刻、花壇の花々、降り注ぐ陽光の中で、トリュフォーのナレーションで語られていく静かなシーンだけれど、観るたびに胸に押し寄せるものがある。このシーンだけを幾度見たことか! 本作はトリュフォーがロウソク3部作となづけた第一作目となる。 クロードが躊躇うようにミリュエルに肩に触れた夜、ロウソクを手にゆっくり階段を上るミリュエル。 「緑色の部屋」では愛する死者を悼むロウソクの炎が礼拝堂を埋め尽くしていた。 そして「アデルの恋の物語」では、愛する男を祭壇に飾りロウソクを灯し、その愛に殉じたアデルがいた。 本作のクロードをみていると二人の女性の間を揺れ動き、<クロード>=<ジャン=ピエール・レオ>=<アントワーヌ・ドワネル>=<フランソワ・トリュフォー>という構図が頭の中に浮かんでくる。 トリュフォーは前年の1970年に「家庭」を撮っている。 1979年にドワネルのアンソロジーともいうべき「逃げさる恋」を撮っているが、トリュフォーはアントワーヌ・ドワネルはこの「家庭」でシリーズを終えるつもりだったそうだ。 「これが私か。まるで老人のようだ」 本作で呟くクロードのこの言葉と共に、トリュフォーは映画における自身の青春への訣別を描いたのだろう。 それはジャン=ピエール・レオにとっても、フランソワ・トリュフォーにとっても、何時まで経っても青春の中で足踏みしているアントワーヌ・ドワネルからの訣別でもあるだろう。 「恋のエチュード」あたりからトリュフォー作品に変化が見られる。 「突然炎のごとく」で凄まじくも甘美な青春を描き、そして「恋のエチュード」で肉体の痛みを、そして風化した時間を生々しく描いている。 風化してもなおもそこに引戻される止まったままの時間。 老いてもなお甦ってくるのは、痛みを味わった青春という時間なのだろう。 エピローグで語られる現実はやはり痛ましい。 監督: フランソワ・トリュフォー 原作: アンリ=ピエール・ロシェ 脚本: ジャン・グリュオー/フランソワ・トリュフォー 撮影: ネストール・アルメンドロス 音楽: ジョルジュ・ドルリュー 出演: ジャン=ピエール・レオ/キカ・マーカム/ステイシー・テンデター/フィリップ・レオタール/ジョルジュ・ドルリュー/マリー・マンサール/シルヴィア・マリオット
by mchouette
| 2008-09-25 00:00
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