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FAVELA RISING
2005年/ブラジル・アメリカ/81分 監督: ジェフ・ジンバリスト /マット・モチャリー at・シネ・ヌーヴォ リオデジャネイロ ブラジル 1960年代から1980年代にかけてのリオデジャネイロのファヴェーラと呼ばれるスラム街を舞台に、暴力と貧困に埋め尽くされた子どもたちの日常を実録タッチで描いたフェルナンド・メイレレス監督の「シティ・オブ・ゴッド(原題:Cidade de Deus シダージ・ジ・デウス)」(2002)には衝撃を受けた。そこには貧困にあえぐこの街で、年端もいかぬ少年が玩具を持つように拳銃を持ち、殺人に手を染め、強盗、麻薬ディーラーなどをして金を稼ぎぐモレーキ(ストリートチルドレン)たちの激しい抗争が、実話を基にして描かれていた。 そして今夏、その兄弟編というべき「シティ・オブ・メン」(2007)が公開される。 「ファヴェーラ」とは、19世紀に戦争で戦った兵士たちが、丘陵地に仮住居を構え、正負からの正式な住宅提供を待ったものの、政府からの提供や認可が無いため、結果として不法占拠となってしまった住宅街であり、そこは麻薬ギャング、腐敗した軍警察が支配し、貧困と暴力が蔓延し、銃声や悲鳴が子どもたちの子守唄代わりの街であり、まさしく「シティ・オブ・ゴッド」で描かれた街である。リオデジャネイロではこうした「ファヴェーラ」と呼ばれるスラム街が数多く存在する。 本作「ファヴェーラの丘」は、こうしたファヴェーラの中でも最も危険な地区として知られるヴィガリオ・ジェラウを舞台に、「ギャングのリーダーになることが夢」だという子どもたちに希望ある未来を示そうと立ち上がった一人の男を追ったドキュメンタリー。 男の名はアンデルソン・サー。 彼もまた幼いころから激しい抗争の中で育ち、人がこともなげに拳銃で頭を撃ち抜かれるのを見、「死ぬことは簡単だと思った」と語っていた。暴力と殺人が日常の光景となっているこの町では、暴力は当たり前となっていた。彼もまたファヴェーラの他の子供たちと同じように大きくなればギャングのリーダーになることを夢見て育ち、麻薬密売をして金を稼ぐファヴェーラに暮らす一人の少年だった。 しかし、家族や多くの友人がギャングや警察に殺された悲しみの中で「なぜ憎しみ、殺し合うのか?どうすれば暴力を止められるか」を考え始めた時、彼は音楽に光を見出した。 「音楽は、誰の胸にも響く!」 仲間とともに『アフロレゲエ』という音楽グループを結成し、銃や暴力ではなく音楽やダンスで、ギャングを夢見るこの街の子供達を救おうとする。そんな彼の姿をカメラは追いかける。 ドラム缶を太鼓代わりに子どもたちがリズムを打ち鳴らす。 DNAに刻まれたリズムがある。 ある日、ギャングのボスがアンデルソンにお礼を言ったそうだ。ギャング組織にいたボスの弟が、彼の音楽グループに入ったのだそうだ。 誰しもが平和を求めているのだろう。 しかし政府から見捨てられたこの貧困の街で暴力と犯罪にまみれなければ今を生きられないという現実もある。ファヴェールの子供たちはそんな現実しか知らない。そこにアンデルソンは音楽を持ちこんだ。 ………………………………………………………………………………… 「RIZE」(2005)というドキュメンタリー映画もあった。 全米でもっとも危険な地区とも言われるLAのサウスセントラル。犯罪と暴力に溢れ、死と隣り合わせのこの街でクランプ・ダンスを通して子どもたちに生きる意味を教えるトミー・ザ・クラウンの活動を追いかけた映画だ。 キューバ音楽に魅せられている作家の村上龍が、さまざまな形で本作を強力に支援している。 複雑な社会背景をもつキューバで絶大な人気を誇るバンド「チャランガ・アバネーラ」。島にはびこる矛盾を街の言葉で巧みにとらえるチャランガは、キューバの若い世代の代弁者でもある。そしてその頭脳ともいえるダビ・カルサード。15年もリーダーとして彼の歯に衣着せぬ社会批評とアメリカ式のスタイルに、検閲の網をかぶせてくる社会主義体制の中でグループの舵取りを見せ続けてきた。『俺は政治家じゃない。音楽を作りたいと願う一介のアーティストに過ぎない。それ以上でも、それ以下でもないよ』と語る。 キューバを拠点に、キューバの人々のための音楽を作り続けている彼ら。 「GINGA / ジンガ」(2005) 原題:GINGA: THE SOUL OF BRASILLIAN FOOTBALL)というスポーツ・ドキュメンタリーがあった。 ブラジル人にはGINGAのリズムを持っているという。ブラジル・サッカーはGINGAのリズムから生まれるという。ポルトガル語で揺れるという意味があり、狭義では、フットボールにおけるフェイント時の足さばきのことを指す「GINGA」。 貧困街の子どもたちがボール一つを巧みに操っている。GINGAのリズムだという。「GINGA」はブラジル人特有のしなやかでリズム感のある身体性そのものであり、それは彼等の心の拠り所としての象徴的な言葉として、ブラジルではごく一般的に使用されている言葉だそうだ。 ………………………………………………………………………………… 身体の中の音楽・リズムが彼等の生理を刺激し、そのエネルギーは音楽に、あるいはダンスに、スポーツに彼らを向かわせる。 そしてそれはまた抑圧と閉塞した状況で、さらに過激な暴力にも彼らを走らせる。 「ファヴェーラの丘」はファヴェーラに刻まれた暴力と犯罪を拭い去ろうとするアンデルソンの強靭な精神に支えられた活動を描いている。 作品的には描写の弱さや粗さもあるけれど、日本に暮らす私たちにとって平和に暮らすというそんな当たり前なことに、人生をかけて光を灯し続けようとする人間がいるということ。 そして 「音楽は世界を救う」という言葉が、お題目だけでなく真実として生きているということ。 が音楽で愛と平和を訴え続けたジョン・レノンを思い出す。 先日見た「ビルマの竪琴」で「埴生の宿」という曲が日本兵とイギリス兵の垣根を越えて歌われたことを思い出す。 第二次大戦下でドイツ軍放送局がドイツ兵のために戦場に流した「リリーマルレーン」がドイツ兵のみならずイギリス兵たちにも流行し、アメリカに亡命したマレーネ・ディートリッヒは連合軍の慰問にこの歌を歌ったという。 「一番怖いのは、自分自身が硬直してしまうことだ。」そう彼は語っていた。 不慮の事故で脳に損傷を負い肢体麻痺に陥るも、彼はそこで硬まることなく、奇跡とも言うべき僅かな可能性から、今、彼は自分の足で立って歩いている。 手術の費用も出せない彼に、彼がこの街でどれだけ必要な人間であるか知っている医師は医療費を請求しなかったという。 「ファヴェーラの丘」を見ていると、音楽が人間にどれだけの喜びと光と喜びを与えるものかということが直截に伝わってくる。 先進諸国が見失ってしまっている「希望」という言葉が、彼等の中に強い力となっているということ。それは本作だけでなく、キューバの「ポプラル!」でも思う。 単に音楽が、サッカーが、ダンスが好きだという以上に、彼等にとってそれが生きている証であり、自らの誇りをみせるものであり、未来に向かう光であるということに繋がっているのだろう。 地に足着いた彼等の活動は、彼等の存在そのものを示すものなのだろう。 だからアンデルソンは逃げないのだろう。 そんなことを強く感じた映画だった。
by mchouette
| 2008-08-20 00:00
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