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NOZ W WODZIE
1962年/ポーランド/94分 「戦場のピアニスト」で数々の映画賞を受賞し、監督であるロマン・ポランスキーの名前が再び映画の表舞台に登場。有罪判決で国外逃亡中の身である為にアカデミー授賞式には出席しなかったということでもちょっと話題になった。次作の「オリバーツイスト」はちょっと期待はずれだったが…… そのロマン・ポランスキーが1962年29歳の時に撮った、彼の長編映画デビュー作「水の中のナイフ」。 この作品は西側諸国では絶賛されたが、社会主義体制下にあった当時のポーランドにおいてはブルジョワ的だと黙殺され、彼はこの作品を残し祖国ポーランドを離れイギリスで映画制作を続け、1964年カトリーヌ・ドヌーヴを主役に「反發」、1965年にドヌーヴの姉のドルレアックで「袋小路」を撮っている。モノクロ映像で、限られた場所と限られた登場人物、そして彼らの心の襞の、その陰の部分を月の光で照らし出したような、ヒンヤリした冷たさ、言い知れぬ孤独感を思わせるようなテイスト。ロマン・ポランスキの初期3部作とも言えるんではないだろうか。 私はそんな彼の初期作品が好きで、その中でも本作「水の中のナイフ」はとりわけ心惹かれ、好きな作品だ。 今観ても、時代を感じさせず、色褪せる事のない瑞々しさがある。 そして何度観ても、突きつけられる痛みがこの作品にはある。 裕福な知識人階級である壮年の夫婦が週末のヨット遊びに向う途中、ヒッチハイカーの青年を乗せ、彼もクルーに同行する。 ヨットの上の3人だけの空間。 倦怠感の漂う夫と妻。 そして互いに相手を見下し、相手を挑発し、互いに自己主張し、ヘゲモニーを奪い合うかのように対立しながらも、どこか擦り寄るような、男と青年の間に流れる奇妙な力関係。 世代、属する階級の違いからくるのだろうか、軽蔑と憧憬の入り混じった、男と青年の間に見られる微妙な感情の揺れと拮抗。 そして湖上を走るヨット。 沼沢地帯に群生する葦。 水平線。 空と水の光と陰。 男と女、そして青年。 どこを切り取っても絵になるモノクロ映像。 「影」「地下水道」などの撮影で知られるリップマンの手腕も大きい。 どうかするとルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」で、ヨットの上のドロンとロネが醸し出す緊張感にも似た空気。青年はどうかするとモーリス・ロネに似ている。 違うのは青年が男に対し、精一杯に片意地張って若さを誇示し、突っ張っているところだろう。 人生は退屈だという青年。 青年の持っているナイフについて、水の上では必要ないという男に向かって、青年は、俺は自分の足で歩く。目の前を切り拓く時に必要だと、ナイフの意義を主張する。風任せで水を上を安直に進む男を言外で批判する。 凪でヨットが止まり前に進まないことに苛立つ青年に対し、男は、流れに身を任せるヨットは大人の遊びだと、逆らうだけの青年を一笑する。 青年の持つナイフ。 そのナイフを器用に扱う青年。 ナイフ…それは若さの象徴だろう。 男は、そのナイフに対し、かつての若さに惹かれる様にナイフをみつめ、同時に今の己を抉られる苦さを感じさせるものでもあるだろう。 ナイフを投げ、ヨットの壁に掛けられた俎板に打ちつける青年。 男も負けじとナイフを投げつける。 ナイフをめぐる男と青年が対峙する。 男が投げ返ししたナイフは青年の目の前で、水の中に落ちてしまう。 それをきっかけに辛うじて均衡を保っていた3人の間の空気が引き裂かれる。 優雅にヨット遊びを楽しんでいる夫婦だが、週末の義務でもあるかのように、何の刺激もなく、退屈な空気を醸し出している。青年が人生は退屈だという言葉を「優雅な大人の時間」と自ら納得させ、現実に味わっているのが彼らだ。もう若くもない二人の間に、突然、それを打ち破るように若い青年が飛び込んできたというシチュエーションだ。 夫である男と青年の間にあって妻である女は、持たざる青年に対し持てる己を誇示する夫を「威張って見栄はりの汚い俗物」と批判する。 そして男にことごとく楯突く青年に向かって、「あなたも彼みたいになりたいんでしょう。かつて彼も貧しい学生だったわ。6人部屋の学生寮で勉強も恋も満足できなかったわ。あなたも彼も同じよ。」青年に言い放つ。 男が青年の向こう見ずさを揶揄して語った「酒ビンを割りその上でジャンプし血だらけになった愚かな船乗りの話」 この話には後日談があり、青年が去った後、帰りの車の中で妻が夫にその続きを聞いたとき、男は「裸足で甲板を歩く船乗りの足の裏は頑丈だったが、一年間陸に上がっていて足の裏がなまっていたことを彼は忘れていたんだ。」と自省とも取れる口調で語る。 妻クリスティーヌを演じたヨランタ・ウメッカは、当時、音楽学校の学生だったそうだが、大人の女。男二人の間にあって、意思のある存在感を見せていた。彼女はこの後もう一本映画出演しただけで映画界を退いているそうだ。 「ナイフ」という小道具を象徴的に使い、さらに、静かな湖面。音もなく前に進むヨット。風を孕み揺れるヨット。大蛇のように青年を打ちつけるロープ。凪。ヨットの上の狭く閉ざされた空間。逃げ場のない空間……青年と男のそれぞれの心の襞に潜むもの、さらには世代、階級、彼らの人生までをも見事に描き出したポランスキーの鬼才ぶりがうかがえる。 29歳で本作を撮ったポランスキー。 …………………………………………………………………………………… ここにいたるまでのポランスキーの人生を振り返ると、ユダヤ系ポーランド人であった彼は、7歳のときに家族と一緒にナチスの強制収容所に入れられ、そこからの脱走に成功するが、母親は収容所内で死んでいる。また彼自身もドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡し、レジスタンスやワルシャワ蜂起にも参加し…… ポーランドに戻った20代のポランスキーは俳優として映画界で活動する傍ら、映画制作もし、そして本作「水の中のナイフ」で本格的に監督として活動を始める。イギリスさらにアメリカに渡り、1968年「ローズマリーの赤ちゃん」でハリウッド・デビューする。 私がロマン・ポランスキーをスクリーンで知ったのはこの「ローズマリーの赤ちゃん」から。 しかしアメリカも彼にとっては安住の地ではなく、妊娠中の妻がカルト教団に惨殺され、そして彼自身も少女に対する性的犯罪で有罪判決を受け、アメリカを脱出しヨーロッパへ逃亡する。…などなど。 彼の人生を見ていると、太陽の光よりも、シンと冴え渡った月の光の中を歩いてきたような人生を感じる。 「戦場のピアニスト」で、廃墟のワルシャワでドイツ軍将校ホーゼンフェルト大尉の求めに応じ演奏したショパンのバラード曲、そしてその人を寄せつけないかのような静まり返った静寂さは、ポランスキーその人とも重なる、とても象徴的なシーンのように思われた。そして、この空気は彼の作品の初期から一貫して流れているトーンでもあるだろう。 監督 ロマン・ポランスキー 脚本 ロマン・ポランスキー / イェジー・スコリモフスキ / ヤクブ・ゴールドベルク 撮影 イェジー・リプマン 音楽 クシシュトフ・T・コメダ 出演 レオン・ニエンチク / ヨランタ・ウメツカ / ジグムント・マラノウィッツ
by mchouette
| 2008-05-20 00:00
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