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CONTROL
2007年/イギリス・アメリカ・オーストラリア・日本/119分/PG-12 at:ガーデンシネマ梅田 1980年5月18日、イギリスのマンチェスターからメジャー・デビューともなる米国ツアーに出発する日の朝、ニュー・オーダーの前身「ジョイ・ディヴィジョン」のヴォーカル兼ソングライターだったイアン・カーティスは23年の生涯に自ら終止符をうった。イギー・ポップの「ザ・イディオム」がプレーヤーの上で聞く者もいないまま回り続けていたという。 「アイコンについての映画を撮るつもりはなかった。 一人の青年の青春を描きたかった」 本作の監督を引き受けたアントン・コービン は語っている。 イングランド北東部マックルズフィールドは田舎町のワーキング・クラスの貧しい若者だったイアン・カーティスの、19歳から23歳の死までを描いた作品。数多くのロックシーンを撮り続け、ミュージック・ビデオも数多く手掛け、「ジョイ・ディヴィジョン」の写真も撮り彼らとも交流のあったフォトグラファー、アントン・コービンにとって本作が長編映画デビュー作でもある。 モノクロの映像が、イアンの内面を表現し情感溢れる映像となって素晴らしい。 若くして自ら命を絶ったミュージシャンを描いた作品はいくつかある。 本作はミュージシャンとしてのイアン・カーティスという視点ではなく、妻のデボラが綴ったイアンの伝記「タッチング・フロム・ア・ディスタンス イアン・カーティスとジョイ・ディヴィジョン」や、残ったメンバーからの話などからイアン・カーティスという一人の若者の実像に真摯に迫った作品であり、イングランドの片隅で音楽を愛する若者達の姿や、当時の時代の空気もリアルに伝わってくる。音楽映画というよりも一人の若者を魂を描いたドラマとして秀逸だと思う。 本作は2007年の第60回カンヌ国際映画祭の監督週間オープニング作品として初公開され、カメラドールやスペシャル・メンション賞などを受賞している。 1970年代のイングランド北東部マンチェスターの田舎町マックルズフィールドは不況下にあえいでいた。イアンは自分が生まれ育ったこの町を灰色で活気のない町といい、いつもそこから抜け出したいと思っていた。デヴィッド・ボウイに憧れ、イギー・ポップを聞き、壁にはジム・モリスンの名前を書いた紙を貼り、音楽に熱中する貧しいワーキングクラスの若者だった。19歳でデボラと出会い恋に落ち、この町しか知らない純朴な若者にとって、恋人と結婚し子供を作り家庭を築くことが幸せと思う、そんな誠実な若者でもあった。 ボーカルとソングライターしてバンドメンバーとなり、家族を養うため昼間は職業紹介所で働き、夜はライブ活動という生活。「ファクトリー」との契約。彼の中で、家庭という現実と自分自身の夢が次第に溝を作り始める。 赤ん坊の泣き声、頭の上の洗濯物、妻…彼の中で家庭が次第に重い枷となっていく。 バンドのインタビューを通して出会ったベルギー大使館で働くアニークとの時間は、彼の乾いた心を癒し、家庭には得られない心の安らぎを覚える。家庭を愛せなくなっていく自分に対する罪悪感と、どうしようもなくアニーク惹かれていく心の葛藤。誠実に向き合おうとするほど、彼の中で歪が大きくなっていく。そして、そんな21歳の彼を突然、痙攣の発作が襲う。「癲癇」という病。薬の副作用による眠気、嘔吐、精神混乱に苦しみ、死への不安。 ソファーに座りイアンとアニークが互いの温もりを求めるかのように身体を寄せ合う純真でひたむきな二人の姿に、イアンの乾いた心を切なく感じる。そして、こんな映像は妻であるデボラにとっては辛い現実でもある。 映画の基となっている妻デボラが書いたイアンの伝記。イアンの胸の内はイアンしか語れないだろうが、彼女もまたイアンとの生活、彼の病気を振り返り、自らをも振り返り、赤裸々に綴ることで、夫イアンとその死を彼女なりに受け止め、理解しようとしたのだろう。 音楽という夢に向かって歩き出したイアンの中で、現実、愛、夢、病気、バンド、聴衆が鬩ぎあう。 「制御不能」 「急ぎすぎて追いつけない」 歌に自分を込め、ステージで全霊込めて歌い、そして自分自身に返ってくる揺れ戻しも大きい。 聴衆は熱狂的にイアンを求め、イアンにより過激さを求める。 自分の手で掴むには大きくなりすぎたこれら現実に、彼は自らに刃を突き刺し、どんどん自分を追い込む。心ばかりか癲癇の発作で身体もコントロールできなくなっていく不安や苦悩、孤独。アニークとの愛に救いを求めるイアン。自殺未遂…… 彼の心の叫びは、ライブでイアンの歌となっていく。 そんなライブ映像とイアンの歌が痛々しく何度も涙ぐんでしまった。 離婚を求めるデボラに、イアンも離婚を決意し自宅に戻るが、彼の口から出た言葉は「離婚しないでくれ。君が必要だ。」 「でもアニークもでしょ?」 デボラが去ったあと、イアンが一人自宅の居間で見ていた映画はヴェルナー・ヘルツォークの「シュトロウェクの不思議な旅」だった。ドイツのストリート・ミュージシャンがアメリカに渡り、慣れない文化と二人の愛人をめぐる絶望にうちのめされ自殺するという物語。 バンドの中間達がアメリカツアーに心躍らせその準備をしている時、イアンは自らの手で人生に終止符をうつ道を歩き始めていた。 イギー・ポップの「イディオット」のレコードをかけ、ウィスキーを飲みながら、妻に宛てて長い手紙を書き始める……。 この映画。見終わった今も、イアンの孤独な最後を思い出すと胸が締めつけられる。 「どうして?」と問い詰めるデボラに、なにも答えられず黙り込むイアン。 そんな彼の言葉にならない心の声を、静かなタッチで丁寧に誠実に描かれている。 映画化に当たり、デボラと娘のナタリーに対し8ヶ月かかって信頼関係を築いていき、イアンの側面を語る上でアニークの存在を抜きには語れないことも了解をとったという。恋人だったアニークも、原作では別名で書かれていたが、本人の承諾を得て実名となっている。ただこの承諾は長い期間を要し、撮影終了後にやっと承諾の返事が来たそうだ。 死んでいった者と残された者。消えない痛みを伴って製作された映画だろう。 彼らの音楽活動の現場とか、「ファクトリー」との契約に際しトニー・ウィルソンが血で契約書にサインをするといったエピソードなども描かれていて、マンチェスター・ムーブメントの栄華盛衰を描き、ジョイ・ディヴィジョンについても多くを語っているマイケル・ウィンターボトム監督の「24HOUR PARTY PEOPLE」とも重なるところがあるのも興味深い。両作品のトニー・ウイルソンを演じた役者は違えど、同じ雰囲気やキャラで描かれているのも面白い。 イアン・カーティスを演じたサム・ライリーは、「24HOUR PARTY PEOPLE」にも出演していたそうだが、ほとんど無名に近い新人。本作のオーディションにはイライジャ・ウッドやキリアン・マフィー、ジュード・ロウも参加したそうだが、サム・ライリーには、当時のミュージシャンの卵たちの雰囲気が感じられたことがキャスティングの決め手となったそうだ。 映画より音楽に興味があり、イアンと同様に彼も働きながら、かなり苦労しながら音楽活動をしていて、本作でもライブシーンは彼自身が歌っているそうだ。 彼を見ていると、時にはデルトロだったり、どうかすると20代初めのディカプリオだったり、ジェームズ・ディーンの雰囲気もあったり…これからも俳優として活動していくならちょっと注目したい役者。1980年、イングランド・ヨークシャー出身。 そしてイアンの妻を演じたサマンサ・モートンもイアンと出会う10代を違和感なく演じていてさすがでした。 監督: アントン・コービン 製作: オライアン・ウィリアムズ/ アントン・コービン/トッド・エッカート 製作総指揮: イアン・カニング/コーダ・マーシャル/アキラ・イシイ/リジー・フランク 原作: デボラ・カーティス 『タッチング・フロム・ア・ディスタンス イアン・カーティスとジョイ・ディヴィジョン』(蒼氷社刊) 脚本: マット・グリーンハルシュ 撮影: マーティン・ルーエ プロダクションデザイン: クリス・ループ 衣装デザイン: ジュリアン・デイ 編集: アンドリュー・ヒューム 音楽監修: イアン・ニール スペシャルサンクス: ニュー・オーダー 出演: サム・ライリー (イアン・カーティス) サマンサ・モートン( デボラ・カーティス) アレクサンドラ・マリア・ラーラ (アニーク・オノレ) ジョー・アンダーソン (フッキー) ジェームズ・アンソニー・ピアソン (バーナード・サムナー) トビー・ケベル (ロブ・グレットン) クレイグ・パーキンソン (トニー・ウィルソン) ハリー・トレッダウェイ (スティーヴン・モリス) リチャード・ブレマー ケヴィン(イアンの父)
by mchouette
| 2008-04-15 00:00
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