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2006年/中国/105分
at:第七藝術劇場 中国・北京の旧城内を中心にそこかしこにある細い路地、胡同(フートン)には、伝統的な建築様式で作られた庶民の古い家屋が建ち並ぶ。日本で言えば下町の裏路地といったところだろうか。生活感に溢れ、古き良き都の情緒漂うスポットとして知られているこの胡同が、オリンピックを控えた中国で再開発により、消えていく場所となり、そこに暮らす人々は立ち退きを余儀なくされている。 「胡同(フートン)」という言葉の語源はモンゴル語の「井戸」という言葉の「huto」からきているそうだ。胡同は、大通りから一歩入った横丁や裏道のことで北京の街を縦横に走る毛細血管のようでもある。胡同には四合院という数世帯が中庭を囲むように一緒になっている伝統的な家屋様式。そんな胡同に実際に暮らしている今なお現役の93歳の理髪師チンお爺さんの毎日をドキュメンタリータッチで描いた本作。 消えて行く胡同の街並みを見ておきたいという気持ちと、予告編でみたチンお爺さんのマイペースな頑固さで飄々と生きている姿や、93歳と思えぬ手際のチンお爺さんに顔を剃ってもらい、蒸しタオルからみえた老人のなんとも至福の表情に惹かれてみた作品。 チンお爺さんの生活は、毎朝6時に起き、毎日5分遅れるゼンマイ時計を直し、銀髪にクシを入れ、身だしなみを整えることから始まる。午前中は三輪自転車で、古くからの顧客の家を訪問しては散髪する。午後は近所の人たちとマージャンを楽しみながら世間話をする。そして決まって夜9時には床に就く。 いつも決まった店の決まった席で昼を食べるチンお爺さんが、その席に客が座っているのを黙ってみていて店に入ろうとしない。店主が客に席を替わってくれるように願い出るが客も頑固なら、チンお爺さんも頑固。その席以外では食べようとしないチンお爺さんは仕方なくテイクアウトして家に帰る。料理を前にじっと見つめるチンお爺さん。どうしたの?って思っていると、時計の針ガ12時になるやいなや箸を持つ。 自分の生き方のルールに徹底して拘るチンお爺さんのこんなエピソードで綴られている「胡同の理髪師」 「チンお爺さんの周りには いつも気持ちのいい風が 吹いている」という映画のコピーそのままのチンお爺さんの変わりゆく世間の流れに頑固なまでに自分流で生きているチンお爺さん語録がまた面白い。 「金持ちも貧乏人も人生は一度きり」 12歳で理髪師になったチンお爺さんは、役者志望だったそうだ。 いまでも鏡をみて身だしなみを気にしている。たったこれだけでも人間って緊張感が出ると思う。チンお爺さんの元気の秘密の一つはこれでしょう。 主人公のチンお爺さんの客は昔から胡同に住む人たち。従って病気がちの老人ばかり。ひとり寂しく亡くなっていった人、郊外に住む息子と無理やり同居させられた人など。「老いと死」を感じる時はあるけれど、チンお爺さんの毎日は変わらない。 こんなチンお爺さんを通して、近代化の波の中で人情が失われていき、人々の価値観や考えも変化していこうとする中国の今も描いている。時代の流れのなかで、胡同の一角に暮らす93歳の老理髪師の、「豊かに生きる」ことの意味を問いかけるということがテーマなのだろう。 でもそんなことよりも、チンお爺さんのマイペースに飄々と生きる姿を見ているだけで、それだけで充分だと思う。映画の中でチンお爺さんが語る人生哲学ともいえる言葉のいくつかに触れるだけでいいんではないかしら。 ともかくも、チンお爺さんみたいに、私も私流に生きる一本の筋だけは鍛えておかないと、と思う。やっぱり、人間、筋がないとふやけるもんだ。 周りの老人たちがある日訪ねると一人きりで亡くなっている。チンお爺さんは葬儀写真と服を用意した。なんでも自分一人のペースで生きてきたチンお爺さんだけど、訪ねてきた息子がそれを見て「これは俺が持って帰るからな」って行った時の、チンお爺さんのふとみせた弱々しい表情。一人で元気に生きていても、死を受けとめてくれる家族がいるということ。一人では生きていけないんだということ、ふと家族の愛をしみじみと感じた瞬間なんでしょうね。 監督:ハスチョロー 出演 チン・クイ チャン・ヤオシン ワン・ホンタオ
by mchouette
| 2008-03-19 00:00
| ■映画
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