by mChouette 検索
カテゴリ
全体 ■映画 =映画:あ行 =映画:か行 =映画:さ行 =映画:た行 =映画:な行 =映画:は行 =映画:ま~わ行 ■映画・雑記 ■ドラマ ■展覧会・コンサート ■一冊の本 ■徒然なるままに… ■美味しいもの ■アウトドア・旅 ■勝手にバトン ■ご挨拶・お知らせ 未分類 最新の記事
その他のジャンル
|
Werckmeister Harmonies
2000年/ハンガリー・ドイツ・フランス/145分 シネフィルで放映されていて、タル・ベーラ監督と本作を知った。 日本では2002年に公開されている。私は未見だけれど、マニアックな作品だから、おそらくは単館上映だったんだろうと思う。 タル・ベーラ監督はヴィレッジ・ヴォイス紙の2001年のベスト・ディレクターとして、『マルホランド・ドライブ』のデイヴィッド・リンチ、『花様年華』のウォン・カーウァイに次いで、本作とあわせて選出されている人。 ハンガリーの荒涼とした田舎町に暮らす住人達。その不気味な日常に、不穏な「石」が投げ込まれる。それは町の広場に忽然と現れた、移動サーカスと見せ物の"クジラ"、広場に響く"プリンス"と名乗る煽動者の声。彼らはどこから来てどこへ行くのか。煽られるように広場に群がる住人達。そして、不協和音が響くように町中の何かが歪み始めた。住人達の興奮は最高潮に達し、破壊とバイオレンスへと向かい始める……。 こんな作品紹介に興味が惹かれ録画したものを週末に観た。 145分、2時間25分の放映時間で、カット数はわずか37カット。驚異的な長回しで、漆黒の闇と月の光を感じさせるようなモノクロ映像。登場人物の動きをカメラが追っているけれど、映し出される映像の構図は、ドキュメント映像とは違う、緻密に計算されたカメラワークと演出がある。役者もその間ずっと緊張を強いられるわけだから、さぞ大変だろうな、と映像を観ながら思ったりもする。 ちなみにタル・ベーラ監督は、1994年制作の「サタンタンゴ」というモノクロ作品の7時間半という大作で世界を震撼させたという。2カット目だろうか。主人公のヤーノシュが月明かりの夜の道を歩き続ける姿を、カメラがずっと引いた位置で前方から捉えている。月明かりだけの闇にヤーノシュの姿がくっきりと映し出され、カメラはずんずん引いていって、彼の姿が次第に小さくなっていく。遠近法の構図が美しい。 深夜の墓地を歩いているような寂寥感と、荘厳な大聖堂の中に立ったような荘厳な感覚とが混じりあったような、そんな感覚を映像から受ける。そして尋常でない長回し。 タルコフスキーの映像もそうであるように、人によっては睡魔に襲われる映像であるかもしれない。かく言う私も夜更けての鑑賞で、気がつけば途中で寝てしまっていて、また巻き戻してといった鑑賞となった。 それでも途中で中断せずに、最後まで観たのは、暗喩的な内容ともいえる、夢の中で繰り広げられる世界を見ているような映像と、独特のリズムを漂わせるヴィーグ・ミハーイの音楽と、その映像と音楽が一体となって生み出される映像世界には、妙に惹きつけられるような不安感がある。 作品はハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローの「抵抗の憂鬱」を映画化したもので、 常に二つのものが対立するものとして描かれている。 絶対的な宇宙の法則にしたがって動いている地球と月と太陽。 和音と不協和音 階級による秩序と革命による暴動 抵抗と抑圧 支配と服従 サーカス団が連れてきた巨大なクジラを、主人公ヤーノシュは「神の偉大な創造欲」と称し、またある人は「グロテスクだ」とその存在を忌む。 その二つの対立の枠のどちらにも属さず、何もしていないにもかかわらず<とはいえ、言われるままに、警察署長と結託して秩序を正そうとする叔母の依頼で、伯父のエステルを担ぎ出す使いをしたが、>プリンスたちに扇動された暴徒たちのブラックリストに載せられ追われる身に…… 線路伝いに逃げるヤーノシュをヘリコプターが追ってくる。 病院を襲撃した暴徒たちは、病院の奥の間のカーテンを開け、そこに半ばミイラと化したよぼよぼの老人が全裸で突っ立っているのを目にしたとたん、彼らの手は止まり、蜂起は急速に終息する。 伯父のエステルが病院にヤーノシュを見舞うが、ベッドに腰掛けるヤーノシュは言葉を失っていた。 暴徒たちが通り過ぎ荒廃した町の広場には、巨大なクジラの剥製が、時代の遺物のように、無用の長物のように横たわっていた……。 そのクジラの眼をじっと見つめるエステル。 「夢のよう! 世界一、巨大なクジラ 自然界の脅威」 電信柱に貼られたサーカスのチラシが、忘れ去られたように風に吹かれている。落葉した木にかろうじて残っている葉が木枯らしに震えるように……。 タル・ベーラ監督は本作のテーマは「東欧の歴史に横たわる永遠の衝突」だと語る。 「この映画は私にとって単なる物語以上の意味があります。これは、永遠の衝突について<本能的な未開と文明化を巡る数百年の争い>全東欧のこの2世紀を決定付けた歴史的経緯に関する作品です。 言うなれば、飢えや苦難で堕落した文化と、キリスト的西洋文化を二分する、目に見えない壁です。この物語で、追放された人々の獣的な熱情が、飢餓行進と同時に吹き出す。一方、中流的価値は意味を失い、昔からの階級秩序が独自の風刺画になり、何世紀にもわたって続いてきた文化がその価値を下げるのだ。 それでも、こういったすべての崩壊、荒廃、腐敗にも関わらず、エステルとヤーノシュの関係には人間味ある温もりがあり、人間の尊厳を保つ可能性を輝かせることができる<例え、惨めで、屈辱的で虐げられた状態においても>。 現在のハンガリーで私が感じるのは<それほど強くではないが>これは我々が全力で闘わなくてはならない問題である、ということだ。」 東欧…ヨーロッパの共産主義圏。 君主国家から革命によって社会主義国家となり、冷戦崩壊後、自らの手で樹立したその国家を手放していった…そんな歴史とも重なるテーマであることは容易に理解できる。 ル・モンド紙は「無秩序は、世界の秩序の一部分なのか?出来事に高尚な意味はあるのか?腐敗や崩壊に美は存在するのか?しかし、この歩み寄ることなく、時には理解できない世界の解釈とは別に、タル・ベーラは映像で我々の感性に語りかける。また、この映画の真実は、その音楽メタファーにも発見できる。和音も不協和音も音楽の一部なのだ。秩序とカオスが世界の最も基本的な構成要素であるように……」と本作について評している。 タイトルにもなっているヴェルクマイスターとはアンドレアス・ヴェルクマイスター(1645-1706)のことで、彼はオルガン奏者であり音楽学者でもあった人で、今日も使われている、1オクターブを12の半音で等分した責任者で現在の音楽の調律の技法を編み出した人。その調律法を"ヴェルクマイスター音律"と言い、J・S・バッハとヴェルクマイスターが友人関係にあったことから、バッハが好んで彼の考案した音律を採用したとも言われている。 映画監督のジム・ジャームッシュは「ありきたりのしきたりや常套句の影に隠れてしまっている、映画が語り得る、奇抜さや可能性を思い出させてくれる作品だ。そのリズムとイメージは催眠術のように染みわたる。」と評し、ガス・ヴァンサントは「カメラ イズ マシン。私はタル・ベーラの作品に影響を受けてきた。タル・ベーラの作品は、まるで新しい映画の誕生に立ち会っているかのように感じさせてくれる。そして本当の意味で「人生」を刻んでいる。」と評している。 一度きりの鑑賞で、受け止めるところまではいってないけれど、この映像世界とリズム感は、漆黒の中のファンタジーともいえるような魅力がある。 監督:タル・ベーラ 脚本:タル・ベーラ/クラスナホルカイ・ラースロー 原作:クラスナホルカイ・ラースロー 撮影監督:メドヴィジ・ガーボル 音楽:ヴィーグ・ミハーイ 出演 ラルス・ルドルフ(ヴァルシュカ・ヤーノシュ) ペーター・フィッツ(エステル氏) ハンナ・シグラ(エステル夫人)
by mchouette
| 2008-01-31 00:00
| ■映画
|
ファン申請 |
||