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GRBAVICA
2006年/95分/PG-12 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/オーストリア/ドイツ/クロアチア at:シネ・リーブル 1992年3月に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争…… 第二次大戦後、旧ユーゴスラビア連邦解体の過程で起こったムスリム人、セルビア人、クロアチア人の三つの民族がそれぞれの勢力と領域拡大を目指した内戦であり、1995年末に終結したものの、紛争前に435万だった人口が、死者20万、難民・避難民が人口の半分を超える200万以上というこの数字からも、この戦争が第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争であり、いかに悲惨なものであったかがわかる。 そしてこの紛争で、他民族排除のため「民族浄化(エスニック・クレンジング)」と呼ばれる追い出し政策をそれぞれの民族が行い、この民族浄化の名の元に、敵対民族を根絶やしにする目的で「集団レイプ」が組織的に行われ、「強制収容所」において敵対民族を連行・虐待していたという事実が報道され世界中を震撼させた。 原題は「GRBAVICA」 セルビア人勢力に包囲され、長期にわたって市民が砲撃と狙撃兵の標的にされたボスニアのグルバヴィッツァ地区である。そしてこの地区で、民族浄化の名の下に多くの女性たちが集団レイプの悲劇にあった地区でもある。 当時サラエボにいたヤスミラ・ジュバニッチ監督は、本作「サラエボの花」で、女性の視点でボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるこの悲劇に切り込んでいる。 ヤスミラ・ジュバニッチは、地元サラエボ出身で、本作が監督デビューとなる32歳の女性監督。本作は2006年のベルリン国際映画祭では、グランプリの金熊賞、エキュメニカル賞、平和映画賞を受賞している。 この映画をみて、今まで多くの戦争映画が描かれてきたけれど、その多くは戦場の兵士達を描いたものであり、その陰で、女性たちが受けた真の悲劇を、女性の視点で真正面から捉え、切り込んだ作品がいかに少ないかということを痛感する。そして本当の悲劇は戦争が終ってから始まるということ。 当時医学生であったエスマは収容所で集団レイプによって妊娠し、お腹が大きくなっても、毎日数人のセルビア兵に犯され続け、生まれてくる子供の存在を憎み、殺したいと思い、何も知らず生まれてきたわが子の泣き声に母乳があふれ出て、そして抱きしめた赤ん坊を美しいと思い、かけがえのない存在として愛しむ気持が沸き起こる母の愛。そして成長するわが子の中におぞましい過去、犯した男たちの姿を見出す悲劇。十数年たっても決して癒えることのないトラウマ。そんな心の傷を頑なに自分の中に抱え込むエスマ。そんな母の姿に娘のサラは、壁を感じ、どうかすると反抗的な態度を示す。 殉教した父親のビストルを形見として持っている男友達からそのビストルを借りたサラは、母であるエスマに銃口を突きつけて父親について問いただす。母と娘の壮絶な諍いの末に事実を叩きつけるように、搾り出すように告白するエスマ。 父親は戦争で殉教者だと信じていた12歳のサラには抱えるには大きすぎる事実。彼女は黙って自らの髪の毛を剃る。そんな坊主頭で彼女は修学旅行のバスに乗り込む。見送りにきたエスマがそんなサラを抱きしめる。バスの窓からじっとエスマを見つめるサラ。バスの中で頑なに黙るサラだけれど、いつしかクラスメイトたちが歌う「サラエボ・マイ・ラブ」の歌を口ずさみ、彼女の顔がちょっと笑顔に輝いていく。ラストのこのサラの笑顔がとても自然で印象的だった。 10代の時にこの内紛を経験したヤスミラ・ジュバニッチ監督は女性や家族にとって戦争とは何だったかという問いに応えている。 「戦争はいつも男性によってつくられ演じられる。それは女性が経済活動に十分参加していないから。ボスニアの戦争もそうだった。でも女性はいや応なく参加させられる。そして戦場で大きな役割を果たす。家族をまとめ、子どもの世話をする役割だ。水も食べ物もない状況で、一つの卵を四つに分け飢えをしのぐために母は知恵を絞った」 「女性は生きる本能を持っている。うつになる余裕も暴力を傍観しているひまもない。私の知っている人たちは、直感的にそれまでの生活を続けることを選んだ。電気も水道もない中で、子どもに食べさせ家族を守った。人間としての尊厳を保つことで反戦の意志を示したともいえる」 エスマに自分と同じ戦争で傷ついた心を見出すベルダという男性が登場する。 彼はサラエボを出て、オーストラリアに移住するという。出発の別れに来た彼にエスマは「誰がお父様の遺体確認をするの?ビニルシートに放置ね」そういって彼にキスをして立ち去るエスマ。 皆一様に心に傷を負って生きている。戦争が終った後、社会の表に出るのも男である。戦いで死んだ男達は殉教者として、その家族は恩恵を受ける。傷を引きずった者は、ベルダのように祖国を捨て人生をリセットする道を歩くものもいる。けれどエスマの傷は、女性達が受けた悲劇は、女性達の中に封じ込まなければならない傷であり、そんな悲劇から生まれてきた我が子を抱きしめる。エスマ達女性には決して逃げ場がない。そこで生きていかなければならない。 貧しさの中で、共に助けあうのは同じ悲劇を分かち合った女同士である。サラの修学旅行の費用を仲間達がかき集める。 映画資料にヤスミラ・ジュバニッチ監督のこの映画に対するメッセージが掲載されている。 「『サラエボの花』は愛をこめて作られた、愛についての映画です。映画についてはこれ以上説明は致しません。先入観抜きに作品の中に入っていただきたいからです。私は映画を通じて心を通わせることをとても嬉しく思っているということだけをお伝えします。……」 この作品に、そして彼女のメッセージに「人としての尊厳と毅然」を強く感じる。 そして、戦争が終った後、戦争がもたらした悲劇は言葉では言い尽くせぬものがある。この作品は台詞も少なく、エスマの姿をずっと追い続ける。それでもエスマの言葉で語りえない心の痛みが伝わってきて涙が滲み、哀しみと共にふつふつと私の中に静かな憤りが広がってきた。 戦争をテーマにした映画で、その悲惨さに胸が痛む作品は多いけれど、こんな風に憤りすら覚える作品は本作が初めてだ。そして見終わった後、母として、女としての力強さをすら感じさせてくれる作品だ。 ヤスミラ・ジュバニッチ監督。手応えを感じた監督だ。そして女性だからこそ描きえた作品だと、はっきりと言い切れる作品だ。 そして、第二次大戦そのものは終結したけれど、その火種は決して消えてはおらず、世界各地でいまだにくすぶり続け、世界各地で戦争が続いているということもまた事実であり、エスマは世界中にいるということ。21世紀は20世紀の膿が湧き出るおぞましい世紀かもしれない。 監督:ヤスミラ・ジュバニッチ 製作:バーバラ・アルバート/ダミル・イブラヒモヴィッチ/ブルノ・ワグナー 脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ 撮影:クリスティーン・A・メイヤー 出演: ミリャナ・カラノヴィッチ (エスマ) ルナ・ミヨヴィッチ (サラ) レオン・ルチェフ (ペルダ) ケナン・チャティチ (サミル)
by mchouette
| 2008-01-11 22:00
| ■映画
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