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2006年/アメリカ/167分
at:TOHOシネマズ梅田 「グッド・シェパード」観てきました。 終わってから、もう1本見たい映画があったので、日曜日、9:30の回で観たのですけど、この余韻、邪魔されたくなかったから、次に観る予定の映画を止めて、真昼間、家に帰ってきました。 余分なセリフは一切なく、けれど第二次大戦以降の緊張する世界情勢。アメリカとイギリスの関係。そしてアメリカとソ連の緊張関係…そうした政治の世界の影の部分を一つ一つのセリフによって鋭く炙り出されている。セリフの一つ一つが重さを持ち、そして役者たちの抑えに抑えた演技、いぶし銀のように鈍く光る演出。音楽がさらにその鈍い光を隅々まで染みとおらせている。 どれをとっても無駄がない。削ぎ落としてこれしかないというセリフと映像と演技、というより表情。そして見せるところはとことん丁寧に描くこだわり。 監督ロバート・デ・ニーロ、脚本エリック・ロス。 久々にずしんと胸に鈍く響いてくる大作を観せていただきました。 政治は男のもの……アメリカやヨーロッパの映画でもパーティの席で男たちが集まって政治談議をする場所には女は入っていけない。そういうシーンは幾度もみている。 そして思い出すのが「ゴッド・ファーザー」。普通の家庭生活、夫と妻の関係を築きたいと願うダイアン・キートンの目の前で、アル・パチーノが黙って彼女を見つめながらドアを両手で閉めたように、本作でも妻は夫と思う男の居るところに入っていけない。 「ゴッド・ファーザー」のフランシス・フォード・コッポラも製作総指揮に加わっていたんですね。 何から、どう書いていこうか、まとまりきらないので、ともかく感想を浮かぶままに書いていくことに……重複表現があるかもしれないけど、ともかく書きたいままに書くことにします。 時代背景は、主役のエドワードが学生だった第二次大戦前夜から、CIA幹部となり、1961年にカストロやゲバラたちが中心になり成功したキューバ革命で革命政府となったカストロ政権を転覆させるためCIAが目論んだピッグス湾攻撃の失敗までの20数年間を描いている。 第一次大戦で「死の商人」として軍事産業で国益を蓄え、第二次大戦で一気に世界の表舞台の自由主義陣営の中心に躍り出た新しい国アメリカ。 1957年にソビエト連邦が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功し、米ソ間の熾烈な勢力圏争いが地上から宇宙へと拡大し、冷戦が激化していく中で情報・スパイ活動が活発になっていった時代。 戦後のアメリカとイギリスの関係、CIAの結成、国家、スパイ・情報活動男、男という生き物、父と息子の関係、愛、家庭…エドワードという一人の男の姿を通して、歴史的な事実に基づきCIAの情報活動の実態を忠実に描き、「アメリカ」そのものにも肉薄した作品。 アメリカ中央情報局CIA タイトルである「THE GOOD SHEPHERD」とは「よき羊飼い、指導者」を意味し、またJesus Christの象徴的呼称でもある。 「CIAにはどうして“The”がつかないのか?」という問いに「“神”に“The”はいらない。」と答えるCIAの幹部。 アメリカCIA。その人材供給源として名門イェール大学の秘密組織「スカル&ボーンズ」の存在。 イギリスのエリート達が学ぶケンブリッジ大学にも、1820年に12人のメンバーによって設立され、現在でも存続している「使徒会」という秘密会があり、政治、文学、哲学、科学、マスコミといったあらゆる分野でそれぞれの時代に大きな影響を及ぼした世界最高の知識人たちが集まっているという、こうした秘密結社の存在は知っていた。(「ケンブリッジのエリートたち」/晶文社) 新大陸アメリカに入植したイギリス人たちが、アメリカでのエリート集団にこの伝統を根付かせたのだろうか。情報のノウハウをイギリスから学ぶというイギリスとアメリカの関係も描かれている。 エドワードはやっぱりマット・デイモンでしょ! そしてエリートとして学生時代に情報活動にリクルートされたエドワード。 「ボーン・アイデンティティ」「ボーン・スプレマシー」で、CIAが巨額な予算で行ったトレッド・ストーンと呼ばれる極秘国家プロジェクトによってコンピューター並みの頭脳と強靭な肉体をもつ暗殺者に仕立てられたジェイソン・ボーン。そして本作でも超エリートで感情をコントロールできるほどの理性を持っているエドワード。こんな頭脳明晰、沈着冷静な役って、やはりマット・デイモンだなって思った。 顔の美醜は整形とかメイクでどうでもできるし、善人から悪人まで演技で様々な役を演じられれるだろうけれど、利発な目の光というのは、演技でもメイクでも整形美容でも無理だろう。 ジェイソン・ボーンにしろ、エドワードにしろ、無言の佇まいの中で、彼の頭の中ではコンピュータ-並に思考回路が動いているんだろうと思わせる雰囲気が、その目から伝わってくる。さすが、中退したけど「ハーバード」に行くくらいに知性の持ち主。黙ったその目からでてくる知性のオーラ。これがマット・デイモンの強みだろうと思う。これはディカプリオが逆立ちしても手に入らない。今回はそこに人間としての苦悩、悲哀を漂わせていた。「シリアナ」のマット・デイモンよりもさらにその演技に深みを感じる。 マット・デイモンのこの眼の光が、この作品の抑えた演出の中で、主役のエドワードという人物、そして作品そのものをよりリアリティある重さをみせていると思う。マット・デイモンが最後まで中年を演じられなかったという新聞の映画評があったけれど、私は、マット・デイモンが最後に見せた、亡き父親の願いであった 「Good Father」「Good Husband」になれなかった「Good Shepherd」一人の男の孤独で弱々しささえ感じられる後姿。これだけで充分だと思う。 「ボーン・スプレマシー」のラストがとても良くって、ジェイソン・ボーンはこれで終わりって思っていたので3作目「ボーン・アルティメイタム」はもういいかなって思っていたけど、やっぱり観る! 自殺した父が最期に彼に遺した「嘘をつくな」という言葉。そして父の自殺が「忠誠心」に問題があったという指摘。これらがエドワードの純粋な忠誠心をさらに強くしていったのだろう。 父と息子、愛のない家庭 パーティで一度きりの引きずられるままの関係で妊娠したクローバー。結婚後も彼は生まれてくるわが子が自分の血を引く子かどうかという不審感はあったのではないだろうか。生まれてきた息子について「目の色は?」と聞いたエドワード。そこで電話が途切れてしまったのも意図的だろう…。 海外勤務のため数年ぶりにあった息子に戸惑いを見せるエドワード。 こうした人と人との繋がり、求める思いは、決してセンチメンタルに陥らず、あくまでもエドワードの無言の中で、けれど丁寧に描かれている。 クリスマス・パーティの席で緊張からかお漏らしした息子を黙ってバスルームに連れて行き服を脱がすエドワード。父親に抱きつく息子。ずっと無言の父と息子の姿に痛々しさを感じる。 そしてはじき出される妻の思い、確執も。 そんな家庭内の微妙な空気、漂う確執にときおり胸が痛む思いがした。 アンジェリーナ・ジョリーがその時代の女性の価値観という枠の中で精一杯の自己主張をし、夫の愛を求め愛のある家庭を求める一人の女性の哀しみと抵抗の姿を抑えた演技で演じていた。「17歳のカルテ」で彼女の演技に注目したアンジェリーナを見た思いだった。こちらも、ブラピと一緒に役まで元妻から奪った「マイティ・ハート」これも観る! そしてエドワードの部下として、のっけのガムを噛みながら軍隊のコート姿でのそっと現れて以来、常に彼に寄り添い、黙って彼の状況を我が胸にしまいこんで、エドワードを見続けてきたレイ役のジョン・タートゥーロが脇役として抑えたとってもいい演技してました。「ビッグ・リボウスキ」でボーリングのボウルを卑猥気に舌で舐めてたお方とは思えない。 本当にこの作品の男たちを演じた役者はそうそうたるメンバー。でも皆それぞれ抑えた演技が、エドワードという一人の苦悩と悲哀と孤独をくっきりと浮かび上がらせ、「個人と国家」という対立する関係、そしてエドワードや彼らの姿から「アメリカ」が見えてくる。 見事な演出。 監督のデ・ニーロやスタッフ、役者たちが描かなければならないと思う、「アメリカ」に対するその思いが結集した作品ではないかしら。そんなメッセージが強く伝わってくる彼らの演技であり映像だった。 これをみていて思うのは「国」は確かに現実に存在するけれど、家庭を壊し、愛を失い、それでも彼らが忠誠を誓い、守るべき「国家」ってなんなんだ。男たちが作り上げた仮想世界ではないかしらって思えてくる。 その世界で、それぞれが「GOOD SHEPHERD」であり、それぞれが情報を握り、それを武器に、人を繰り、情勢を操り、世界を操っている。そして知りすぎたゆえに抹殺される。誰が誰を操り、抹殺するのか……。 ほんの一握りの人間たちが、世界を、国を、チェスのコマのように動かしていく……。 そしてアメリカは、エドワードのこの物語の数年後、1963年ジョン・F・ケネディ大統領暗殺、1964年マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、さらにロバート・ケネディ司法長官など要人の暗殺事件が続き、ベトナム戦争へと進んでいく……。 グレアム・グリーン原作の「THE QUIET AMERICAN」の映画邦題「愛の落日」でもベトナム戦争前夜のサイゴンを舞台に、ブレンダン・フレイザー演じる、おとなしいアメリカ青年が実は裏で暗躍するCIAだった…。 「誰も信じるな」 何のために孤独に耐え、何に誓い、何のために闘うのか? 人が火を持ち、部族ができ、女は部族の繁栄のため次の世代の子供を産み、そして男たちは出来上がった集団を守り維持させるために、命がけで獲物を追いかけ、新たな領土を求めて他部族と争う。常に男たちは戦いを繰り返し、人類の歴史が作られていった。 常に闘うべき敵をつくり、挑んでいく。男たちのDNAに刻み込まれた、これは一種の麻薬のように男たちを虜にするものなのだろうか。そんなことも思った。 まだまだ、なんだか頭に浮かんでくるけれど、段々とりとめもない文章にますますなっていくのでこの辺で……。 第二次大戦が終結した戦後世界の凝縮された姿がここに描かれていると思う。これは、私は、もう一度劇場に足を運ぶと思う。 監督: ロバート・デ・ニーロ 製作: ロバート・デ・ニーロ/ジェームズ・G・ロビンソン/ ジェーン・ローゼンタール 製作総指揮: フランシス・フォード・コッポラ/デヴィッド・ロビンソン/ガイ・マケルウェイン/クリス・ブリガム/ハワード・カプラン 脚本: エリック・ロス 撮影: ロバート・リチャードソン プロダクションデザイン: ジェニーン・オッペウォール 衣装デザイン: アン・ロス 編集: タリク・アンウォー 音楽: ブルース・フォウラー/マーセロ・ザーヴォス 出演: マット・デイモン (エドワード・ウィルソン) アンジェリーナ・ジョリー( クローバー) アレック・ボールドウィン (サム・ミュラッハ) タミー・ブランチャード( ローラ) ビリー・クラダップ (アーチ・カミングス) ロバート・デ・ニーロ (ビル・サリヴァン将軍) ケア・デュリア (ラッセル上院議員) マイケル・ガンボン( フレデリックス教授) マルティナ・ゲデック (ハンナ・シラー) ウィリアム・ハート (フィリップ・アレン) ティモシー・ハットン (トーマス・ウィルソン) リー・ペイス( リチャード・ヘイズ) ジョー・ペシ (ジョゼフ・パルミ) ジョン・タートゥーロ (レイ・ブロッコ) ジョン・セッションズ (ヴァレンティン・ミロノフ) エディ・レッドメイン (エドワード・ウィルソン・ジュニア) オレグ・ステファン( ユリシーズ/スタス・シヤンコ) ガブリエル・マクト (ジョン・ラッセル・ジュニア)
by mchouette
| 2007-10-29 00:00
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