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ADDIO, FRATELLO CRUDELE
1971年/イタリア/105分 <ネタバレ> 「愛の嵐」では、シャーロット・ランプリングの凄みの演技に圧倒され、「その4年前1969年のルキノ・ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども』では、製鉄王である男爵エッセンベック老の姪の役で、イングリッド・チューリン、ヘルムート・バーガーが醸し出すデカダンの匂いがたちこめる中で、一人白百合のように微笑みを湛えていたランプリングとは思えない演技。」と感想を述べたけれど、「地獄に堕ちた勇者ども」と「愛の嵐」の間に、この「さらば美しき人」があったんですね。 彼女は台詞を喋る演技よりも、眼とその表情だけで何かを語る。 黙って相手をじっと見つめるこの眼が何かを語っている。そして狂気に走るかのような表情。謎めいた微笑み。裸身をおしげもなくさらし、官能の世界に打ち震える様。これが「愛の嵐」のランプリングに繋がっていくんだろう。前半できっちりと衣装を身にまとい台詞を喋っている時の彼女は、その演技に硬さが感じられたけど、二人の男の間で揺れ動き、そんな彼女に翻弄される男の前で、生身の姿をさらすシーンは、水を得た魚のような伸びやかな彼女を感じた。ただ射るように相手を見つめる眼の光にはぞくっとする美しさがある。 ランプリングは、この作品を自分の転機となった大切な作品として愛しているそうです。 本作は、以前「家の鍵」の感想をあげたときに、出演していたシャーロット・ランプリング関連でプロフェッサー・オカピーさんとvivajijiさんから教えていただいた作品で、やっと観れました。未見作品で素晴らしい作品がまだまだたくさん埋もれている……。<映画公開時のコピ>ー… わが妹よ-- 本作の原作は、シェイクスピアと同時代の劇作家ジョン・フォードの 「'TIS PITY SHE'S A WHORE/あわれ、彼女は娼婦」映画もそんな時代のイタリアを舞台にした物語。 日本でも最近では蜷川幸雄の演出で三上博史、深津絵里主演で舞台公演があった。そして、ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ監督による本作は、芸術的映像と大胆な演出でとても魅力溢れる作品。モダンアートを思わせるようなセット。絵画を思わせるような映像。白い靄のかすむ木立を馬に乗ったジョヴァンニのシルエット。砂丘に立ち並ぶ白い旗。水に浮かぶ城。馬を乗せた筏……そして古城の佇まい。 壮大な舞台劇を見ているような演出と美術。衝撃的な内容と美しい映像。そしてエンニオ・モリコーネの音楽がこの作品の狂気と悲劇を奏でている。 物語は、ともに愛し合う兄ジョヴァンニと妹アンナベラ。禁断の愛。そしてアンナベラの妊娠。身を裂かれる思いで、アンナベラはソランツィオの求愛を受けて結婚するが、頑なにソランツィオを拒む。財もあり傲慢なソランツィオはそんなアンナベラに憤りもみせるが、愛するアンナベラを前に「どう接すればいいか分からない」と弱弱しい本音を洩らす。そんな男の心根に触れ、ソランツィオの胸に顔を伏せるアンナベラ。そして兄ジョヴァンニへの操を守っていたアンナベラだったがソランツィオの愛を受け入れる。 このシーンもやっぱり美しい。ベッドの手摺を持つランプリングの身悶える手の動き、快楽に自らを解放するかのように身をのけぞらせ天上に手を広げ、スレンダーな裸体を惜しげもなくさらす。 この時に、処女だと信じて疑わなかったソランツィオが、妻となった女が既に一人の女であり、しかも妊娠までしていることが発覚してしまう。髪の毛をもって引きずり、縛り上げ、相手の名前を詰問するソランツィオは嫉妬と侮辱で怒りは狂気に達している。かたやランプリングの破滅的な笑い。凄み。こんな彼女は、美しく装っている時よりもはるかに凄みのある魅力の光を放っている。 一族の恥を隠すために利用された侮辱に怒るソランツィオは、アンナベラの一族を宴に招待する。それは一族を皆殺しするための「死の宴」だった。 宴の日、部屋に幽閉されているアンナベラの前にジョヴァンニが現れた。ジョヴァンニは自分以外の男と愛を交わした、妹の裏切りを敏感に嗅ぎとり、ナイフで妹の胸を刺し貫く。 「ADDIO, FRATELLO CRUDELE/さようなら、むごいお兄様」 死に逝くアンナベラの最後の言葉。これが映画の原題となっている。 「アンナベラ、お前の名誉を守ってみせる」そのアンナベラの心臓を取り出したジョヴァンニは、返り血を浴びた姿で、血だらけの心臓を片手に高々と差し出し長い廊下を宴の席に向かう。その眼は、アンナベラの身体に愛を刻みつけた男への憎しみに燃えているような…。 舞台に向って花道をカッカッと歩いてくるような…グリッフィ監督のこうしたシンプルな演出が随所にあり、さらに緊張感が生まれてくる。 「妹の心臓だ。妹の心だ。この中に私の心がある」ソランツィオの前に心臓を差し出し、二人の愛を突きつけるジョヴァンニ。アンナベラへの愛と、その愛で嫉妬に狂った男が二人。 宴に来た者たちは一人残らず切り殺され、ジョヴァンニは血まみれの裸体を男たちに担がれソランツィオの前に横たえられ、彼の怒りと嫉妬から、その首は刎ねられ、死体は切り刻まれる…。 なんとも凄まじい内容、流血劇。だけれど美しいと思う。 ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ監督の、舞台演出を思わせるようなシンプルなセットと絵画を思わせる構図が「美」を感じさせる。好きだわ、こんな映像。 そして、エンニオ・モリコーネが奏でるメロディも、ジョバンニを語るときは哀愁を帯び、ソランツィオを語るときは勇壮に、アンナベラとソランツィオの愛を交わすシーンでは弦楽器がと、全体的なまとまりに欠ける気がしないでもないけれど、それぞれのシーンに流れる感情を盛り上げている。 この間ずっと、vivajijiさんの言葉を借りると「身を振り絞らんばかりの強烈刹那ナルまま堕ちる堕ちる破滅恋愛映画」ばかりが続く私のブログですが、どれも見終わった後は、内面を抉り取った凄まじさと映像の美しさと役者の演技に、深いため息で満たされるので、これは少し中毒になってしまいそうなところがある。そして、これらの作品で共通するのは、生々しいシーンですら「美」があるということ。手の表情、シルエット、吐息、光と影、それらによって美しい官能の映像に仕上がっている。映像作品として完成度の高い作品だと思う。そのものズバリの映像よりもはるかにエロティックであり、監督の映像に対する拘りを強く感じ、そのシーンが胸に刻み込まれる。 監督: ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ 原作: ジョン・フォード 脚本: ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ/ アルフィオ・バルダルニーニ/ カルロ・カライチオ 撮影: キム・アルカルリ/ ヴィットリオ・ストラーロ 音楽: エンニオ・モリコーネ 出演: オリヴァー・トビアス シャーロット・ランプリング ファビオ・テスティ アントニオ・ファルジ リク・バッタリア
by mchouette
| 2007-10-27 00:00
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