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原題 TIME TO LEAVE 2005年/フランス/81分/R-15 沈む夕陽、葬送の調べを奏でる波の音 エルヴェ・ギベールのこと そしてメルヴィル・プポー 「ブロークバック・マウンテン」と同じくこの映画も3回劇場に足を運んだ映画。 「ぼくを葬る」で今も心に残っている風景は 夕陽に照らされ、茜色に染まる空と海。 聞こえるのは静かに寄せては返す波の音だけ。 自然の法則に従い、太陽は昇りそして沈み、潮は満ちては引いていき、人は生まれては死んでゆく。 沈みゆく夕陽と引いては返す波の音に見守られるかのように、死にゆく身体を静かに砂浜に身を横たえるロマン。波の音が、葬送の調べのようにエンドロールが終わるまで、いつまでも余韻として胸に残る。 本作は「死」をテーマにした3部作のいわば第2章。 第1章は「夫の死」 バカンスで訪れた海で、夫が突然いなくなった。 夫のいない生活、夫がいないことが受け入れられない妻の姿を描いた作品「まぼろし」 「まぼろし」の海は、明るい陽光の中で躍動する生を感じさせるような波しぶきをたて力強かった。それを力なく見つめる夫のまなざし。波の力強さに抗しきれなくなったのか、躍動する生の勢いに飲み込まれてしまったのか。マリーが眼を覚ましたとき、浜辺には夫の姿はどこにもなかった。 夫の失踪、そして最後までその死を受け入れられなかったマリーの戸惑い、混乱を表すように「まぼろし」の映像は、最後まで、唐突に、どこか『ぎこちなさ』がつきまとっていた。 けれど、自身の死をあるがままに受入れ、自身の運命に寄り添って「死」を迎えようとするロマンを包む海は静かに彼を見守り、その映像は『崇高なまでに静謐』な雰囲気を湛えていた。 オゾンは本作について「僕は死に向うロマンの旅路に付き添い、怒りから否定に、そして受入へと彼が経験する変異を探求したかったんだ」と語っている。 ロマン31歳。ガンを宣告された一人の青年。自然の道理からすると死ぬにはあまりにも早すぎる。 私はスクリーンでロマンを見つめながら、その姿に、若くしてエイズで亡くなった一人の男性の姿がずっと重なっていた。 『エルヴェ・ギベール』 映画を見終わった後パンフレットを読んでいるとオゾンはインタビューで、彼の名「エルヴェ・ギベール」を口にしているではありませんか。その合致に驚いた。「個人的にはエルヴェ・ギベールの作風と彼の美しい映画『謹慎それとも不謹慎』における病と死に対するアプローチの仕方に僕はもっと感動を覚える。この映画では、キャラクターに何か特別なことをさせたいという気持ちはなかった。僕は『もし死ぬとわかったらどう生きるのか? どう感じ、何を選ぶのか?』という状況について具体的な現実を示したかった」と語っている。 オゾンはロマンンという人物にエルヴェ・ギベールをモチーフに重ねあわせていたのではないでしょうか。 エルヴェ・ギベール Herve Guibert 1955年生まれ 15歳の頃より旺盛に書き始め、処女作出版は1977年22歳。そのころからジャーナリストとして活躍を始め、77年から85年まで「ル・モンド」紙の記者だった。写真家としても知られており80年に「シュザンヌとルイーズ」というフォトノベルを出している。映画「傷ついた男」のシナリオ(本作監督パトリス・シェローと共同執筆)を手がけたり、自作を舞台用に脚色したり、仕事は多方面にわたっている。作家としては22歳から36歳までの14年間に17冊の作品を残している。1991年12月27日、36歳の誕生日を迎えたばかりでした。 彼がフォト・ノベルにした「シュザンヌとルーイズ」は彼の大叔母にあたる姉妹で、彼はこの二人に両親以上に近しい感情を持って、とても愛していたことが彼の書からうかがえます。ロマンもまた祖母ローラに対し、肉親よりも、自分に近しい人として特別な感情を持っていたことが映像からうかがえます。 ここで取り上げている以外で日本で翻訳刊行された書籍・邦題「召使と私」「赤い帽子の男」「楽園」「犬たち」「ヴァンサンに夢中」「悪徳」「エルヴェ・ギベール写真書物」「幻のイマージュ」他。 もう一つ。映画の中で、自宅に来たロマンをお父さんが車で送っていく、その車中でロマンが父に「僕のこと怖い?」と訊ねる場面がありました。何を意味するのかよく分からなかった。ただ、エルヴェ・ギベールに関して、彼はかなり早くから自身の性的傾向を自覚していて、15歳の時に旅行先で知り合った男性と交際していた。息子の所へたびたび男から手紙がくることに不審を抱いた父が手紙の送り主を調べ、息子に忠告した「あいつは男色家だ、近づくな」と。ギベールはそのとき初めて父に告白したんです。「パパ、僕もなんだ」と。ギベールの両親はごく普通に恋愛しごく普通に結婚した常識の枠を逸脱しない人間。この息子の告白に父親はかなりのショックだったことでしょう。また自分の理解を超えた世界にいる息子に畏怖を感じたのではないでしょうか。恐らくロマンと父との間にもかつてこういう会話があったのではないかと想像するのですが……。 ギベールは父との軋轢などもあり早くから自立する道を考えていたようです。早くから書き始めたのもそのためです。 <大叔母のシュザンヌとルイーズ、そして僕> 「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」 この書は、ギベールが亡くなる3年前1988年から執筆し90年に刊行された。著者自身が実名で登場し、エイズとの闘い、自身の赤裸々な姿、(ホモセクシャル、愛欲の日々、人間関係など)を一切合財を曝け出して綴り、非常なセンセーショナルを巻き起こしたとか。同時に1984年エイズで死亡したフランスの哲学者ミシェル・フーコー、女優のイザベル・アジャーニも実名ではないが、それと分かる形で描かれており、そのスキャンダラスな内容も人々の関心を呼んだようです。 この本のタイトルが示すとおり、ギベールもまた、ガン告知前のロマンのように傲慢な面をもつ人間であったと言えます。彼はインタビューで「ビル、彼が僕の命を救ってくれなかった友人です。この本で彼に思い知らせてやる。本は彼を思い知らせてやる僕の武器です。彼のワイングラスに僕の血液を一滴たらすべきかどうか、真剣に考えました」と語っています。(ビルは大手製薬会社の研究所長で、エイズ治療に効果があるというワクチンをギベールに用意しなかったとか、ギベールはこのワクチンに望みを託していたんです。エイズ蔓延し始めでしたからすべて手探り状態の時です) そして彼は本書でも「僕は自分が人を愛していないことを知ってしまった。いや、ちがう。たしかに愛していない。むしろ憎んでいる。作品が僕の友だち、話し相手であり、いまや我慢できるたった一人の友だちだ。食べるときも、寝るときも、一緒だし、楽しい夢も、恐ろしい夢も、寄り添って見る」。エイズ感染が発覚した時の彼の正直な心境でしょう。 この後、彼は2冊の闘病記録とでも呼べばいいのか「哀れみの処方箋」。続いて「サイトメガロウィルス」を執筆し、この執筆を終えた2ヵ月後にこの世を去りました。 *抜粋文書で「ぼく」「僕」の2つの表記はそれぞれの本の表記にしたがってます。「哀れみの処方箋」 彼の身体はかなり悪化していることが分かる。「毎日、前の日にできていたことが次の日にはできなくなっていった。髪にブラシをかけるために手を上げることや、バスルームの電灯を消すこと、服の袖に腕を通したり、脱いだりするのもつらくなった。」病状の悪化がうかがえる文章で始まっている。こういう状態の中でタイプをうって文章を書くという作業が、どれほどの苦痛と困難を伴う作業であるかも容易に推測できます。しかしギベールは書くことをやめなかった。彼の心境の変化、恋人との関係、死に向きあう自身の姿を本書でも率直に書き綴っています。 彼は病状が悪化し、介護が必要な状態にあっても、一人で生活することを選んでいます。 その不自由さと過酷さは想像をはるかに超えるものです。そして非常に危険でもあります。 「僕はずっと一人で暮らしてきた。人がいるとどうしてもよく眠れない。それに愛する人に、ぼくの悪夢を共有させたいとは思わない。最悪の場合、いつでも電話をすることができる」 彼に起きた大きな心境の転換がこの中で書かれています。 「バスの中で、ある女性がぼくの前に座った。」「その人はしだいにぼくにたいして戸惑いを見せ、同時にそれを隠すようとするようになり、二つの違った思いに引き裂かれていた。ぼくが彼女の同様の意味を探ろうとして、サングラス越しに見ても、彼女は一度もぼくを見ようとせず、目をそらした。」「象牙のボタンがついたアマンドグリーンの麻のジャケットは、すでに皺になっていた。上着の下のTシャツは着ていたが、痩せた身体はほとんど隠れはしなかった」「僕はオデオン通りのバス停で降りるために立ち上がった。その若い女性も立ち上がり、ぼくがつかまっている手すりにつかまり、バスがブレーキをかけたときには、ぼくと隣り合わせになった。彼女は見るからにためらっていたが心を決め、控えめで魅力的な微笑みを浮かべて、ぼくに『あなたは有名な作家ではありませんか』と訊いた。『有名……知りませんね』とぼくは答えた。『間違いではないと思います。私はただ、あなたがとても美しいと言いたかったのです』そのとき、ふたりは一緒にバスを降りた。それ以上ことばを交わさず、振り返ることもなく、彼女は右へ、ぼくは左に向った。ぼくは感謝し、涙が出るほど感動した。」 「そうだ。病人に、瀕死の人間に美しさを見出すべきだった。今まで、ぼくはそこまで受け入れることができなかった。」 ここで写真家でエイズで亡くなったメイプルソープの死の直前の写真についての記述もあって、それも載せたかったし、メイプルソープの写真とかも入れたかったんですが話が収拾つかなくなるんで泣く泣くカットしました。メイプルソープはどっかで記事アップしたい。 ギベールは、恋人のジュールと、その妻ベルトとの間の子供たちを「わが身以上に、我が子でないとはいえ、自分の分身のように愛していた」その子たちへの遺産譲渡を目的にベルトとの婚姻届を提出しています。「ぼくとベルトとの結婚式は、1989年6月17日の暑く穏やかな日に、14区の区役所でおこなわれた。皆がやめるようにと言った。財産共有制の結婚契約を結ぶのは、アルザス地方の保守的な人々か、若い美人に心を奪われて、子供の相続権を奪おうとしているやもめぐらいなものだ。一見して、それは形だけの結婚式だった。ベルト、ジュール、ベルトの幼なじみの弁護士、そしてぼくの4人だけの結婚式だった。」「ぼくたち4人はまた戸外に出て区役所のテラスにいた。そしてそれぞれの方向に別れた。」「ぼくはひとりで通りを歩いた」「利害結婚だろうか、いや、もちろん恋愛結婚だ」 そしてギベールの恋人であったジュールもまた彼の死の翌年にこの世を去っています。 そして本書の最後に「1990年8月13日の今日、ぼくはこの本を終える。」「ぼくは映画を撮る。初めての映画だ」と書いています。 この映画が、「ギベールの美しい映画」とオゾンが評した『謹慎それとも不謹慎』でしょう。彼の撮った映画はこれだけですから。 「僕は自分が人を愛していないことを知ってしまった。」と言い放ち『僕を救ってくれなかった友へ』となんとも傲慢な怒りに満ちたタイトルをつけ、死に向かって衰弱の一途を辿っていくだけの人生から、バスの中で出会った若い女性の言葉に突き動かされ、「死にゆくものの美」を見出したんだと思います。 死へのベクトルの転換がギベールの中で起きたといえるのではないでしょうか。 そしてエイズに侵食され、破壊されつつある身体を、あるがままにフィルムに収めました。 このフィルムについては「僕の命を救ってくれなかった友へ」の翻訳者の佐宗鈴夫氏は「『かつて小天使そっくりだと言われていた』ギベールの病に冒され痩せおとろえた姿が、ふざけてわざとそうしているのではないかと思われるほど緩慢な身体の動きとともに生々しくとらえられています」とあとがきで書かれてました。 オゾンが『病と死に対する(ギベールの)アプローチの仕方に感動を覚える』といったギベールの内面の軌跡に、私はロマンの死に向う旅路と重ね合わせずにはいられなかった。 だから私にはこの映画は辛かった。ロマンを見、さらにそこにギベールも見ていたのだから。 「サイトメガロウィルス」 この本の執筆終了の2ヵ月後にギベールはこの世を去りました。 サイトメガロウィルスは、末期のエイズ患者などは免疫力が著しく低下するために発症すると失明の原因になるウィルス。 末期症状にある中での執筆で、数行の短い文書で綴られた本です。 本書の書き出し「9月17日 右目がやられてものが読みづらい。音楽を聴く。まだ聾じゃない。」 「ここでいやというほど聞かされるのは『よく召し上がれ』『よき一日を』『よき週末』『よくお休み』『よきバカンスを』だが、『よき臨終を』というのは聞いたことがない。」 「僕の大事な人、Tは週末に一度、土曜日の午後しか見舞いに来ない。仕事に子ども、病院への距離もある。」「僕たちの間には青春の日々があり、失い、エロティスムがあったが、それも失せてしまった。残ったのはかつてなかったほどの大きな愛だ。」と語っています。 Tは「哀れみの処方箋」で登場し、彼の死の翌年にこの世を去ったジュール。この中でもギベールはジュールの愛について「ジュールは平静になった。そして、彼はぼくにもっと愛情を示すようになったような気がする。以前のように、ときにはこまやかな愛情を犠牲にして、肉体ですべてを解決するようなことはもうなくなった。彼はぼくの病気に対して抵抗したあげく覚悟を決めて以来、ぼくに愛情を注ぐようになった。」と表現しています。 そして「サイトメガロウィルス」の最後の文章 「闇の中で書けるか? 最後まで書けるか? 死の恐怖を味わうより前にかたをつけようか?」 小さな命の炎が消えるような彼のぎりぎりの叫びが聞こえます。 彼は誕生日の前日に大量のジキタリスを服用して自殺未遂を起こしている。そのとき運び込まれた病院で2週間後に帰らぬ人となりました。 恐らく彼の目はサイトメガロウィルスで失明状態にあり、「書く」ことができなくなっていたのではないでしょうか。 「自分がもっとも生き生きしているのは書いているときだ」と告白しています。「書く」ということで力の入らない手でタイプを叩き、人生の炎を燃やし続けていたギベールにとって、それは事実上の「死」を意味することだったのでは……。 「人間の死を語る」 オゾンは人間の尊厳という新たな領域に映画作家として生命を吹き込み、見事な映像で表現した。 そして、女性のみならず男性の魅力を引き出す監督としての手腕とセンスも見せつけた。 ホモセクシャルの監督は、どうかすると男優を描くときは、思いが入るのか描きすぎることが往々にしてあるが、主役を演じたメルヴィル・プポーはとても魅力的に描かれていた。 オゾンの品位を感じる。 <more>でメルヴィル・プポーのことも綴っております。
主人公ロマンについては、「観客が恋におちるような」キャラクターを目指したという。 ロマン扮するのはメルヴィル・プポー。 そして私はまんまとオゾンの魔力で3回も劇場まで彼に会いに行った。 エリック・ロメール監督の「夏物語」では、自意識過剰の軟弱な青年を、まだ少年ぽさも残しながら初々しく演じていた彼が、10年たったらオゾン・マジックで素敵な大人の男性になっていて、ちょっと感激でした。オゾンはこの「夏物語」からプポーにラブコールを送っていたんですね。 「焼け石に水」のオーディションにオゾンは彼に声をかけたけど、彼は「オーディションは好きじゃない」といって断ったとか。彼は役者という仕事にそれほどしがみつきはなかったんでしょう。 メルヴィル・プポー Melvil Poupaud ■Biography 1973年1月26日生まれ 映画広報担当から、脚本家、プロデューサーになった母親が関わったラウル・ルイス監督作品「海賊の町」に10歳の時に出演。以後ルイス作品に立て続けに主演。彼の秘蔵っ子といわれた。スティーヴンソンの「宝島」ではジャン・ピエール・レオ、アンナ・カリーナと共演。一時期学業に戻るが、ジャック・ドワイヨン「15歳の少女」(88)で復帰。共演のジュディット・ゴードレーンと共に評判となり、セザール賞若手俳優男優賞にノミネートされる。「愛人/ラマン」でヒロインの弟役を経て、「おせっかいな天使」でセザール賞有望男優賞の再候補となる。リセの同級生キアラ・マストロヤンニとは「LA BELLE ETOILE」「LE JOURNAL D’UN SEDUCTEUR」などでコンビを組み、キアラの父マルチェロ・マストロヤンニ、母カトリーヌ・ドヌーヴとも共演している。 一時ロマーヌ・ポーランジェと交際していた。キアラとの間には結婚はしていないが、娘が生れている。離れて暮らしているけれど定期的に会って映画も見るそうで宮崎アニメはよく知ってるようです。 弟、親友で監督のオビ・ルベルらとバンドを結成しておりライブなどもおこなっている。 本人は俳優よりも音楽に興味があるみたい。 彼は甘いマスクながら、目にどうかすると小悪魔的な光があるので、クセのある役とか内面に問題ある役とかも多いみたい。 でも20歳代では「夏物語」が、30歳では「ぼくを葬る」のメルヴィル・プポーが一番魅力的に撮れている。監督の役者の魅力の引き出し方の手腕にかかっているんでしょうか。 <「夏物語」のメルヴィル・プポー> ■Filmography ぼくを葬る(おくる) (2005) ル・ディヴォース/パリに恋して (2003) キッドナッパー (1998) シューティング・スター (1997) 夏物語 (1996) 三つの人生とたった一つの死 (1996) <未> 犯罪の系譜 (1996) <未> エリザ (1995) イノセント・ライズ (1994) いちばん美しい年齢(とし) (1994) おせっかいな天使 (1993) 音楽 /出演 愛人/ラマン (1992) 15才の少女 (1988) アルマ橋で目覚めた男 (1985) 「いちばん美しい年齢(とし)」フランスのエリート進学校を舞台に、悪魔的魅力の青年アクセルを演じていた。この作品はフランスの超エリート教育制度とフランスの高校生達の早熟振りが垣間見れて面白かった。 <「美しい年齢」アクセル役> <「美しい年齢」のキャンペーンで来日したメルヴィル・プポー> 「愛人/ラ・マン」ではいつもお兄ちゃんにいじめられている優しい弟役。印象薄かった。 「ル・ディボース/パリに恋して」では出番は少なかったけれど、ナオミ・ワッツが結婚したフランス男を演じてました。けど物語の最初から、「君とは一緒に暮らせない。僕は愛する人と暮らすんだ」といって家を出てしまう自分勝手な男の役。フランス男性とアメリカ女性の文化の違う二人の結婚の難しさ。でも素敵でした。「おっ!」と思いました。結局ナオミ・ワッツはロマン・デュリスと恋人同士になるんですけど… 未公開映画「犯罪の系譜」は、とてもおフランス的な映画。5歳を過ぎると、犯罪的傾向は矯正が効かなくなるという、その矯正のきかない青年を妖しく演じていた。共演はカトリーヌ・ドヌーヴ。ドヌーブが年下のプポーを保護する立場にありながら、プポーの小悪魔的な魅力にミイラ取りがミイラになってしまう、ちょっと説明しにくい内容の作品。結構楽しめましたけど…。 「キッド・ナッパー」か「シューティング・スター」どっちだったかな、ギャングの役もやってました。 次回作は、ニューヨークで撮影予定のゾエ・カサヴェテス(故ジョン・カサヴェテス監督の娘で、「きみに読む物語」のニック・カサヴェテス監督の妹)の初監督作に出演とか。
by mChouette
| 2007-05-19 00:00
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