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2005年/台湾/135分 at:シネマート心斎橋 男がいて、女がいる。三つの時代のそれぞれの男と女が、どんな瞬間を持ち、どんな時間を生きたのか。どんな喜びを、どんな悲しみを、どんな昂ぶりを、どんな切なさを抱いて生きたのか……。 ホウ・シャオシエン(侯孝賢)監督が描く男と女の愛の姿。 彼の作品で今まで見たのは「風櫃の少年」「冬冬の夏休み」「童年往事」「恋恋風塵」「悲情城市」「フラワーズ・オブ・シャンハイ」。色艶のある作風というより、どちらかというと、ノスタルジックな情感をたたえつつ、かなり骨太で実直な作風の監督というイメージを持っている。「珈琲時光」などは見てないので、90年代の彼の作風がどんなだかは知らないが、すくなくとも90年代以前の彼についてはそんなイメージを持っていた。 だから『百年恋歌』男と女の時間を彼がどう描くのかなって思うところがあった。 けれど男を演じるのが「チャン・チェン」と聞けば観にいく!。 ミニシアター上映で、東京を皮切りに順次公開され、大阪は比較的遅く、この12日からの公開。DVDもすでに4月20日に発売されているようだ。買わなければ。 <若き仕立て屋の恋・チャン・チェン> 「チャン・チェン(張震)」…アン・リー監督の「グリーン・デスティニー」ではチャン・ツィイと恋に落ちる一匹狼の盗賊、「ブエノスアイレス」ではトニー・レオンが働くレストランのアルバイト学生、どちらも好青年という印象以上のものはなかったのですが、「愛の神・エロス」でウォン・カーウァイ監督の「若き仕立て屋の恋」でコン・リー演じる高級娼婦を一途に思いつづける若き仕立て屋を演じ、献身的な愛に生きる青年の切ない恋心を情感たっぷりに演じ、私の中で一挙にブレイクした俳優。 三つの時代の男と女を同じ俳優が演じるというのも面白い。男をチャン・チェンが、女をスー・チー(Shu Qi)が演じる。彼女はこの作品で2005年台湾電影金馬奨最優秀主演女優賞を受賞。 ■1966年…恋の夢 ザ・プラターズ「煙が目にしみる」が流れる。 兵役を控えた青年が、台湾の高尾にあるビリヤード場で働くシウメイと出会い、ビリヤードに興じるうちに、打ち解けあう。店を出た若者はすぐに引き返し、手紙を書くからとシウメイに告げる。休暇が取れた若者がビリヤード場に行くが、シウメイは別の店に変わっていた。移った先に行くが、そこにも居なかった。彼女の居場所を聞くため彼女の実家を訪ねた。シウメイの母親は娘を訪ねてきた青年を警戒するが、青年にあてた彼女の手紙を見て警戒を解き、彼女からの手紙を見せてくれた。彼女が働いているビリヤード場に行き、やっと彼女の姿を見つける。ゆっくり彼女に近づく青年。彼女の青年に気づき、嬉しそうに笑う。互いにはにかみながら微笑む二人。もう夜になっている。青年は明朝の9時までに兵舎に戻らなければならない。彼女の仕事が終わるのを待ち、屋台で食事をする二人。時折シウメイは思い出したように嬉しそうに微笑む。急いで駅に向ったが列車はなくなっていた。雨が降っている。青年はバスで帰ることにした。雨の中一本の傘をさしながら並んでバスを待つ二人。互いの手がそっと近づき握り合う。良く見かける光景だ。しかし雨の中で佇む、純な二人の姿には暖かい幸せが感じられる。 この編では「煙が目にしみる」「雨と涙」ほかに「星はなんでも知っている」の台湾語の歌も流れ、オールディーズの曲がとても効果的に使われている。 次は時間がさかのぼる ■1911年…自由の夢 このころの台湾は、日清戦争で中国が日本に敗戦し、下関条約によって台湾が日本の統治下におかれていた時代。日本の台湾統治は、日本が第二次大戦で連合国に敗北するまで続く。場所は台北にある遊郭の芸妓の部屋。そして彼女の元を訪れるチャンは富裕な知識人階級と思われる。チャンにかいがいしく世話をする彼女。ここではサイレント形式で描かれている。時折話される言葉は字幕で出てくる。しかし二人の会話も男と女の愛の語らいではなく、女が男の近況を尋ね、それに男が答える程度。 しかし、遊郭の二人の時間はゆったりと流れ、長年連れ添った二人のような慣れ親しんだ優しさが漂う。男と女の営みなどは全く描かれていない。互いに信頼しあった間であることが伝わってくる。男からは時折自分の近況を伝える手紙が届く。中国の新しい動きの中で男が動いている事が分かる手紙であった。女の妹分(義妹)にあたる芸妓が妊娠し、妊娠させた男の親が妾として身請けの相談に来た時、遊郭が提示する三百両のうち二百両しか払えないという。チャンは妾制度廃止論者であるにも関わらず「君の義妹が幸せになるのなら」と不足分の百両の肩代わりを申し出る。チャンもまた女を大切に思っていることがよく分かる。 しかし、義妹の身請けは義妹の幸せを思うと嬉しい事だが、女にとってはチャンに自分を身請けしてもらいたい気持ちで一杯だ。思い切って彼女は彼に言う。「私の幸せは?」男は黙ったままだ。酒の席で琵琶を弾きながら涙を隠し切々と男への愛を歌う女。チャンの顔にも苦悩の色が浮かぶ。女は男の愛に生きたいと願い、男は女を愛しているが革命に生きようとしている。辛亥革命が起こり、男の周辺も慌しくなっている。男が居ない部屋で女は一人でなすすべもなく座っている。男から封書が届いた。女の愛に応えてやることができない男の女に対する愛と哀しみを吐露した心情を詩に託した手紙だった。 涙を浮かべながら、その手紙をそっと撫でる女。頬に伝わる涙を拭いながら、じっと思いにふける女。 このj編ではゆっくりとしたピアノの音色が全編に流れる。ここはかなりゆっくりとした時間で話は流れていく。部屋の調度品、彼女の衣装や手に持ったハンカチ、道具の数々部屋のしつらえ、遊郭の建物の佇まいなど女性としてはかなり見応えがあり、楽しめる映像だった。ランプの光の中での映像はとても叙情的だ。このあたりの光の捉え方はホウ・シャオシエンの作品を観ていて巧いなあといつも思う。でもストーリーを追いかけようとするとかなリ辛いところもある。 そして1966年でも感じたが、1シーンごとに場面が変わる毎に一旦黒い場面が入り、次の場面になる。ジム・ジャームッシュなどがよく使う手法だが、その度に映像が分断され、かつ流れは抑揚がなくテンポのゆったりしたものだ。時間の経過を伝えるためなのか、なぜ場面の転換のたびにこのようなことをするのか分からなかった。この点も観ていて少し辛いところもあった。 それよりも、私には、ホウ・シャオシエンが1966年、1911年で男と女の何を伝えようとしているのかが、正直いってまだ見えてこない。よく分からないままだった。 しかし、1966年では、初々しい若いカップルを演じた二人が、ここでは大人の男と女を演じているのは見事。一挙手一投足が優雅そのもの。とくにスー・チー演じる芸妓の気品のあるあでやかさ。 ■2005年…青春の夢 歌手のジンは、カメラマンのチェンとであい、二人は恋におちる。欲望のままに互いの体を求めあう。けれど、お互いに別に恋人がいる。 ジンのホームページを見ているチェン。そこに書かれているのは刹那的な言葉「いくら出す?魂を売るわ。過去も未来もない。飢えた現在があるだけ……」 彼女は歌う「あなたは誰なの?何が欲しいの?誰にも分からない」舞台に上がりカメラでジンの姿を撮るチェン。まるでカメラでジンを犯しているような錯覚を起こす映像。 一方、ジンの恋人ミッキー(女性)は、携帯に出ず、メールに返信してこないジンをなじる。電源が切れたと言い訳するジン。チェンの恋人もジンの存在に怒る。言い合いし抱き合う二人。彼を振り切る恋人。着信時間でジンの不実をなじるミッキー。携帯メールで「会いたい」とジンに連絡するチェン。ここでは場面は次々と変わっていく。 ここまでくると鈍感な私でも見えてくる。 ジンとチェンとそれぞれの恋人たち、彼らの動く場所も場面も次々と変わる。ジンの部屋、チェンの部屋、ライブハウス、屋台、バイクで走る台北の街……。彼らはとめどなく動く。 しかし二人の間には時間が流れていない。瞬間、瞬間があるだけだ。互いに体を求め合いながら、がさがさとざらついた感触が伝わる。互いに求めるけれど、互いの気持ちを育み確かめあう時間が見当たらない。携帯で相手と連絡し、着信時間で相手の行動を読み、パソコンのキーボードを叩き、特定の相手ではなく不特定多数に自分を発信する。 明らかに1966年と1911年の男と女の間に流れていた時間、情感が2005年では消えてしまっている。あるのは愛に飢えて乾いた心があるだけ。 1966年では男は手紙を頼りに女を捜し会いに行く。この過程で男は女に対する愛を確信していく。女もまた会いにきた男の愛の確かさを感じる。わずか数時間だけの再会だが、そこに至るまでの男が費やした時間の重みがある。愛を互いに確かめ合える。ここでも二人の間に交わされる言葉は少なかった。 1911年では、手紙で男は近況を伝え、手紙に別れの哀しみを伝え、女はその手紙に愛を感じるかのように、愛しい男に触れるように手紙をそっと撫でる。 1911年、1966年の男と女には肉体的な結びつきは描かれていないけれど、心のままに相手を求めあう2005年の二人にはない、濃密な愛、官能を感じる。 過去の二つの時代では場面の変わり目で黒い場面が挿入され、分断されても二人の間の時間や結びつきはきちんと存在している。2005年では場面は繋がっていても、彼らの時間、心がばらばらに動いている。ラストで二人がバイクで走り去る映像が流れるが二人の雰囲気は極めて無機質なものだった。ここでもチャン・チェンとスー・チーは刹那的な今を生きる求めても乾いた愛に傷つく男と女を見事に演じていた。 三つの時代の全く異なる雰囲気の男と女を演じきったチャン・チェンとスー・チーは見事というほかない。 三つの時代の男と女の間に流れる、時間、官能、情感これらをホウ・シャオシエンは鮮やかに描き出している。もっと彼が描いているものがあると思う。わたしが一度観て受け止められたのはここまで。幾度か繰り返し観たい作品だ。観るたびに男と女の間のものが更に見えてくるような、そんな作品だ。 この作品は、私が知っているホウ・シャオシエン作品の中で、一番艶と情感溢れる作品だと思う。今までの彼の作品はどちらかといえば叙事詩的なものであったが、本作はかなり芳醇な抒情詩的作品ではないだろうか。そして、画家が絵具を塗りこんで塗りこんで描いた濃密さがある。それでだろうか、彼の作品は又観てみようと思える一方、見た後は少し重く疲れるところがある。 監督:ホウ・シャオシェン
by mChouette
| 2007-05-14 00:03
| ■映画
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