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THE BOY IN THE STRIPED PYJAMAS
2008年/イギリス・アメリカ/95分/PG-12 監督: マーク・ハーマン2010年。2001年、21世紀に入って産声をあげた子供たちは9歳。 この物語の主人公である8歳の少年ドイツ人のブルーノとユダヤ人のシュムエルとほとんど変らない年齢。21世紀の子供たちは、これから学校の歴史の授業でこの物語を、その背景を理解できるところまで教えられるのだろうか。 8歳の探検好きな少年ブルーノの眼からみた彼をとりまく世界。 戦時下という認識もなく、ドイツ軍の父が昇進しベルリンから新たな任務に就く父とともに家族で田舎にやってきたブルーノ。家は軍服姿の兵士たちが出入りし、2階の子供部屋からみえる農場のようなところ。そこでは縞のパジャマ姿の子供や大人たちがたくさんいる。煙突からはよく煙が上がり、嫌な匂いがする。誰に聞いても答えてくれない。冒険好きのブルーノは目を盗んで裏口から農場に向かって探検を始める。有刺鉄線が張られたその敷地の中で、ブルーノはパジャマをきたシュムエルという少年と出会う。「ユダヤ人だから…」そう答える少年。ブルーノにも、シュムエルにもよく分からない現実。収容所の実態を知った母は衝撃を受け、そのうちに父と母が言い争いを始めるようになる…。 政権をとったヒトラー率いるナチ党の独裁政権に嫌悪を顕わにするブルーノの祖母。夫の昇進を喜びながら、ユダヤ人収容所の存在を知りつつ現実から逃れようとするブルーノの母。ハンサムなコトラー中尉に影響されナチスの主張に傾倒する姉のグレーテル。収容所所長の任務を戦争の一部だと釈明する父。コトラー中尉もたおそらくはガチガチの軍服の下に優しい素顔を隠しているのだろう。優しさが弱さと思われないために必要以上にユダヤ人に厳しく当たるのだろう。 大人の世界の生々しい描写はないけれど、ブルーノが感じる大人たちの間に流れる微妙にささくれだった空気としてきっちりと描かれている。 ベトナム戦争の真っ只中にあった時代、反戦運動が大きな盛り上がりをみせる1970年に作られたフォークソング「戦争を知らない子供たち」。この映画を観た子供たち、小学生、中学生が、この物語の時代が第二次大戦下のことであり、ドイツのナチス政権が、ユダヤ人という一つの民族の抹殺を目的にドイツがユダヤ人を強制収容が舞台であり、ブルーノは強制収容所所長に昇進した父とともに家族でここに引っ越してきて、引っ越した家で軍服をきた兵士達がドイツ軍であるということ。そんな映画の背景となっている歴史をどこまで理解して観れるだろうかと思う。 歴史の教科書では「ヒトラー率いるナチ党の独裁政権のドイツ」「ホロコースト」「ユダヤ人虐殺」そんな言葉が歴史用語として並んでいるのだろう。その言葉から、その時代に生きた人間たちまで彼らの想像力が広がるだろうか。 強制収容所のフェンス越しに友達になったドイツ人の少年ブルーノとユダヤ人の少年シュムエル。 冒頭で本作の原作者ジョン・ボインが「子供時代とは…」で始まる一文は、この物語に込められた彼の思いだろう。 情報過多の時代に受身に慣れてしまっている今の子どもたちが、この映画を出発点にして、ブルーノの素朴な疑問を死んでしまったブルーノから受け継いで、自分の目と耳と感覚で歴史の真実を、自分たちの知らない真実を探っていって欲しいと思う。分別を知る前の無垢な感覚でシュムエルと友達になったブルーノの感性を受け継いで欲しいと願う。 ブルーノはお母さんが行ってはいけないという言いつけを守らなかったから… ユダヤ人は敵だという周りの言葉を聞かなかったから… だからブルーノは… そんな分別臭い言葉が、口に出さずとも子供たちの胸にはあるのかも知れない。 それが正直な本音であってもいい。その本音を超える知性を自分の中で、自分自身で育んでいって欲しいと思う。 ブルーノ少年を演じたエイサ・バターフィールドの大きく透明なブルーアイは、社会の尺度に染まっていない少年の無垢な魂を思わせ美しい。
by mchouette
| 2010-10-31 00:00
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