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INVICTUS
2009年/アメリカ/134分/G at:梅田ピカデリー 監督: クリント・イーストウッド 優勝をかけたスポーツの試合で、涙がこぼれるほどの感動と、ここまで熱い思いで観たことがあっただろうか。 これは実話を映画化したものなのだけれど、スクリーンの中で繰り広げられている戦いは実際の試合ではないはずなんだけど、弱小チームで国際試合から締め出されていた南アフリカのラグビーチームが、自国開催のラグビーW杯で、最強チームであるニュージーランド代表のオールブラックスを相手に、誰も予想さえしていなかった、まさに奇跡ともいえる優勝を勝取るまでの彼ら、そしてこの試合にかけるマンデラの祈願ともいえる思いに、見ている私も物語が進むにつれ次第に胸が昂ぶり、決勝戦に至っては手を握り締めて、この試合にアフリカの未来を託すマンデラの熱い思いを受けとめ、必死にボクスを応援している私だった。 選手の中で黒人がたった一人という南アフリカのラグビーチーム「スプリングボクス」はアパルトヘイト時代の前政権を引きずるチームであり、試合でも応援するのは白人ばかりで、南アフリカの黒人たちは自国チームを応援せずに相手方を応援するというほど、黒人たちにとっては忌み嫌うべきチームだった。 南アのスポーツ評議会でも屈辱の象徴でもあるユニフォームの色とチーム名の変更を満場一致で決議されたが、マンデラは、アフリカは変わるんだ、我々も変わらなければならない、寛容の心で白人を受け入れようと、チームの存続を訴えた。 そして自らチームのユニフォームを着てスプリングボクスを応援する。このために27年間も投獄された、その象徴ともいうべきユニフォームを着ることの重さ。民族にとってもどれだけの屈辱であるかは容易に想像できる。 アフリカは変わる そのためにも、私も変わらなければならない。 そして弱小と言われ続けたスプリングボクスも変わらなければならない。 「一つのチーム。一つの国」 南アフリカ国民が自国代表のこのラグビーチームを応援することでアフリカは一つになる。 そしてそのマンデラの意思を受けとめたスプリングボクスの主将フランソワ・ピナール。 選手たちをつれてマンデラが投獄されていた刑務所を訪れ、マンデラのいた独房の、手を広げるだけの巾しかないその狭さの中で30年も耐え続けたマンデラの強い魂を思い、ピナールもまた変わっていく。 一戦、一戦勝ち進むスプリングボクスに、南アフリカ国民は、黒人も白人も、人種を超え、ただひたすら自国アフリカチーム優勝を共有させていく。 決勝戦。 試合前にオールブラックスがみせるニュージーランドの先住民族マオリ族の伝統的な出陣の踊りハカの迫力の前に、ボクスの選手たちと同じように怯むほどの緊張感に思わず息を詰めてしまう。 本作でも、イーストウッドは山場でもある決勝戦でも決してドラマティックな演出はしていない。むしろ淡々としかしマンデラの側近たちも含め人々が、チーム全員が、試合が進むにつれて変わっていく様を簡潔だが丁寧に描いている。 そしてこれほどまでの感動を見るものに与えるとは! クリント・イーストウッドの映画作りの姿勢が、いかに人間の魂の拠り所を見据えてつくっている人だということが痛感させられる。 だから見終わった後は、ドラマティックな感動を越えて、人間の魂の崇高な領域に触れたような思いになるのだろう。 試合終了後、インタビュアーの「この優勝はスタジアムの観客全員の応援のおかげですね」という言葉に対してピナールは「4300万人の南アフリカ国民全員の応援のおかげです。」と答える。ピナールにとって、チーム全員にとってもこの思いに至るまでの軌跡でもあっただろう。 「INVICTUS」とはマンデラが獄中で心の支えにしていたウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩集のタイトルだそうだ。 マンデラの口から語られる詩の一節 「私は我が運命の支配者、我が魂の指揮官なのだ」 INVICTUS=征服されない ネルソン・マンデラとフランソワ・ピナールを軸にスプリングボクスの優勝までの軌跡を描いた不撓不屈、強靭な精神…そんな言葉で表現しきれるようなスポーツ映画でも、ましてや根性を描いた映画でもない。ましてやヒーロー映画でもない。 イーストウッドは、マンデラの崇高なまでの強靭な魂、そしてその魂を正面からしっかりと受けとめたピナールの魂、この二つの魂が生み出した奇跡の物語を、人としての誇りを持って描こうとしたのだろう。 まさに「INVICTUS」=”征服されない”魂を描いた映画だろう。 そして「変わる」ということの意味を真摯に描きあげた映画だろう。 「We can change!」を合言葉にアメリカ史上発の黒人大統領となったオバマ政権下で、変わる痛みに耐え切れずわめき散らしているアメリカとアメリカ国民に対して、 そして政権交代といいながらも、いまや同じ穴の中で狢同士がつつきあっている様相をみせている日本という国に対して、 そして報復の民族紛争が耐えない世界に対して、 クリント・イーストウッドの優しくも痛烈なるラブレターでもあるだろう。 音楽担当は本作でも息子のカイル・イーストウッドも参加している。「ワールド・イン・ユニオン’95(ジュピター)」もアフリカ原住民のサウンドを融合させ独特のサウンドで甦り、エンディングの余韻に誰も席を立つものは居なかった。
by mchouette
| 2010-02-15 09:32
| ■映画
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