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「静かなアメリカ人」
THE QUIET AMERICAN 1958年/アメリカ/120分 イギリスの作家グレアム・グリーンの小説「The Quiet American(邦題:おとなしいアメリカ人)」の映画化。 グレアム・グリーンはまたオックスフォード在学中に、第一次大戦で敗北して一部の地域が占領されていたドイツ大使館に雇われ対仏諜報を、第二次大戦勃発時にはMI6の正式メンバーとなって西アフリカやイベリア半島のスパイ活動に従事していたという経歴の人。 映画「寒い国から帰ったスパイ」や「ナイロビの蜂」でも知られているイギリスのスパイ作家ジョン・ル・カレもM16に所属していた。 事実は小説よりも奇なり。 情報活動の現場を知る二人の作品は小説に潜む行間のリアルな闇に戦慄を覚え、そんな闇でもがくスパイたちの姿が哀しい。彼らはフィクションの世界の住人ではなく、現実世界で、私たちが知らないところでこうして生きてきた人たちなんだろう。 本作以外でも映画化されたグレアム・グリーン作品は多い。私が知っているだけでも、フリッツ・ラング監督「恐怖省」(1944)、ジョン・フォード監督「逃亡者」(1947)、キャロル・リード監督「第三の男」(1949)、「ハバナの男」 (1960)、エドワード・ドミトリク監督「情事の終わり」(1954)、1999年にニール・ジョーダン監督「ことの終り」(1999)としてリメイク、ピーター・グレンビル監督「危険な旅路」(1967)、ジョン・マッケンジー監督「愛と名誉のために」(1983)などなど。本作も2002年にフィリップ・ノイス監督によって再び映画化され「愛の落日」という邦題で公開されている。「愛の落日」は観たけれど、初映画化作品である「静かなアメリカ人」は、今回のWOWOW放映で初めて鑑賞した。 WOWOWではベルリンの壁崩壊20周年企画として「特集・冷戦下のスパイ」を描いた映画作品が放映されていて、本作もその一つ。 WOWOWの作品紹介によると、 「1950年代前半、当時、旧宗主国のフランスと内戦状態にあったベトナムを舞台に、同地に駐在する中年のイギリス人特派員記者と、そこへ新たにやってきたアメリカ人青年とが、記者の愛人である若く美しいベトナム人女性をめぐって三角関係の恋愛劇を展開。本来G・グリーンの原作では、その後ベトナムへの介入を深めていくアメリカへの強い批判がこめられていたが、映画ではそうした政治性がすっかり脱色・改変され、論議を呼ぶこととなった。同じ原作をより忠実に映画化した「愛の落日」と見比べてみるのも一興かも。」とあった。 本作について「政治性がすっかり脱色・改変され、論議を呼ぶこととなった。」とあるけれど、そうなんかなぁって思う。 むしろ「愛の落日」の方が泥沼化するベトナム戦争前夜を色濃く描いた内容にはなっているものの、男女の三角関係を描いたメロドラマに過ぎないという印象をもつ。 「静かなアメリカ人」は三角関係の愛憎劇の様相を呈しながら、その一皮下にはベトナムに絡む第一次インドシナ戦争当時の政治状況、国家の思惑がありありと描かれている。 母国英国に妻がいるにもかかわらず、若くて美しいベトナム女性プアンを愛人に囲い甘い蜜を吸っているベトナム駐在のベテラン特派員記者トーマス・ファウラー。 そんな二人の前に現れたアメリカ青年オールデン・パイルは、プアンに一目ぼれし、プアンに将来の保証も与えずただ愛人としておいているだけのファウラーの無責任さを詰り、プアンと結婚したいと申し出る。 将来のことをどう考えているんだ?というパイルの問いにプアンは首をかしげる。 プアンにもベトナム人にも「将来」という言葉は通じない。日々を生きるだけで必死な彼らには将来という日はないのだ。ベトナムを知るファウラーはパイルに教える。 中年男と若い男の間でプアン争奪戦が始まる。 堂々と自由と独立の正論で動く若く将来のあるアメリカ青年に嫉妬し、甘い蜜に執着し、なりふりかまわぬ醜態をみせるファウラーは、数世紀にわたる長きにわたり植民地から甘い汁を吸い続けることに慣れすぎた旧勢力の宗主国家のエゴを思わせる。 ファウラー、パイル、プアン、市民に紛れ込んで活動する共産党工作者を通してベトナム戦争前夜の混沌とした状況、国家間の相関図が炙り絵のように浮かび上がってくる。 第一次大戦を経て第二次大戦で主導権を握ったアメリカは、自由主義圏勢力拡大にむけ、属国にあった国々が宗主国から独立を図ろうとする動きに宗主国を押しのけて自由主義陣営の仲間意識でもって口を突っ込んでくる。 アメリカは、アメリカ人は、けっして静かではなかった。 グレアム・グリーンの「THE QUIET AMERICAN」にはこんなシニカルな意味がこめられてつけられたタイトルであるだろう。 ベトナム戦争前夜ともいえる1958年制作の本作では、ファウラーの視点から描かれており、アメリカ青年パイルは、純粋にプアンをひとりの女性として愛し、プアンとの結婚を望んでいた自由と独立の思想に燃える青年として描かれており、情報部員として傀儡政権と通じ暗躍するスパイかどうかという点は曖昧なままに終っている。 マンキウィッツ 監督は本作の脚本も手がけている。 グリーンの原作を変更したこのあたりの描写が政治性の脱色として指摘されたところでもあるのだろう。 映像だけを追いかけるとそうなんだけれど、なかなか、どうして、それぞれの人物を国に置き換えてみてみると、ファウラー、パイル、プアンの台詞の一つ一つもなかなかに意味深だ。 「愛の落日」 THE QUIET AMERICAN 2002年/アメリカ/101分 2002年に制作された「愛の落日」では、原作に従い、ブレンダン・フレイザー演じるアメリカ青年は、医療支援のボランティアの仮面をつけたアメリカの情報部員として傀儡政権を陰で手繰る人物であることが発覚する。そしてフレイザーの死体が川で発見される。冷戦下で暗躍したスパイの辿る末路だろう。 アメリカが支援する南ベトナムにも南ベトナム解放を掲げ民族戦線が結成され、1962年にはアメリカがサイゴンに司令部を置き本格的な軍事介入が始まり、フランスからの独立戦争である第一次インドシナ戦争を経て、第二次インドシナ戦争であるベトナム戦争へとアメリカは泥沼にはまり込んでいく。 20世紀でアメリカはベトナム戦争で国内外から批判を浴び、結局はベトナムから撤退するも、21世紀にはイラク人を独裁者サダム・フセインから解放するというお題目を掲げ、またもやイラクに軍事介入する。 「愛の落日」のエンディングにはベトナム戦争を追いかけるように新聞の見出しが次々と映し出され、戦場で目を負傷して倒れたアメリカ兵のその目がズームインされていた。 フィリップ・ノイス監督が、ベトナム戦争前夜を背景にしたグレアム・グリーンのこの原作を映画化した背景には、イラクに軍事介入するアメリカにかつてのベトナムと重ね、それに対する警告と抗議のメッセージもあるのだろう。危機感をもった映画人たちが、グレアム・グリーンの「THE QUIET AMERICAN」に今のアメリカをみたのだろう。錚々たるメンバーが製作陣に名を連ねている。 描く視点が二つの作品では微妙に違っているように思うのは、制作された時代背景にも因るのだろう。 私としては、「愛の落日」のフレイザーよりも、政治性が脱色したといわれる「静かなアメリカ人」のアメリカ青年の、正義感が強く自信満々で、一つの信念を思想として動くシンプルさが強さでもあり、頑固さでもあり、融通のなさであり、そんな姿がアメリカという国をとてもよく表しているように思え、男女の三角関係の恋愛劇の下で、マンキウィッツ監督が描こうとしたのは大戦後の世界だろう。 そして「愛の落日」では、結局、彼らは何を得たのだろうか? そんな空しさがつきまとう。 「愛の落日」のマイケル・ケインは、甘い蜜を吸い続け、常に傍観者であり、気がつけば友情を感じたアメリカ青年も死に、ベトナム女性の愛も失っていたという、これもまた老いた大国の姿でもあるのかも知れない。 それは当時の宗主国でもあり、やがてはアメリカの姿でもあるだろう。
by mchouette
| 2009-11-13 09:38
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